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2019-10-10

不思議な「カタカナ語」の国、日本

 カタカナ語の氾濫はとどまるところを知らないが、それに伴う不思議な現象も多く見られる。
 機械などの維持、補修のことを「メンテナンス」という一方で、歯周病防止のための定期的な治療のことを表す歯科用語は「メインテナンス」だ。どちらも同じ英単語maintenanceの音をカタカナ表記したものである。実際の英語の発音は「メインテナンス」であるが、「メ」にアクセントがあるので、その後の「イン」は軽く聞こえ、「メン」に近くなる。歯科用語の「メインテナンス」は、なぜか、「メイン」の「イ」を強く発音するように変わってきており、その2つを比べると、別の単語のように聞こえる。
 では、芸能人などを表す「エンターテイナー」はどうであろうか。最近、「エンターティナー」と発音する人が多いように思う。これも、英語のentertainerから来たことばであるが、「メインテナンス」同様、「テイナー」の「テ」にアクセントがあるので「ティナー」に聞こえるのかもしれない。ちなみに、google検索では、「エンターテイナー」を入力するとヒットするサイトの数は4百万以上、「エンターティナー」では、5百万以上であった。後者のほうが優勢である証拠だろう。
 では、外国語を取り入れる際のカタカナ表記には、何らかの規則性がみられるのだろうか。どうも、そうではなさそうだ。上記の例と同じ母音の発音を含むことばなのに、「メインストリート」は決して「メンストリート」にならないし、「レインコート」は「レンコート」にはならない。
 他の例を見てみよう。Hong Kongは「ホンコン」ping pongは「ピンポン」。でも、なぜかKing Kongは「キングコング」だ。「キンコン」だと、チャイムの音みたいで、ぜんぜん強そうに聞こえないので、日本人は拍子抜けするからだろうか。でも、英語ネイティブの人たちは、ちゃんと「キンコン」と発音しているのである。
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2018-09-05

「被告」と「被告人」、「容疑者」と「被疑者」

私はパンの耳が好きです。パンはハード系が好きなので、食パンもかなりよく焼いてカリカリにしないとおいしく感じません。そのため、最初からこんがりと硬い耳の部分のほうが、やわらかい中身よりも好きです。

時々、パン屋に行くと、食パンの端を切り落としたものを何枚か集めたものを安く売ったり、無料で持って行ってもらうようにしているところがあります。私はもちろん、喜んでそれを手に入れるわけですが、それだけをもらうのは気が引けるので、他のパンを結構たくさん買うことになります。

そのようなとき店頭にはたいてい「パンの耳、どうぞご自由に持っていってください」とか「パンの耳 30円」とか書いた札がつけてあります。でも、食パンの端を切り落としたものを「パンの耳」というのは間違っているらしいです。食パンの両端は、あくまで「パンの端」であって、「耳」ではありません。耳とは、サンドイッチを作る際に、周りを切り落とした時にできるものだということです。平面的なものの端にあるものを人間の顔にたとえて「耳」というようになったのですから、横に長く立体的な食パン1本分の両端は「耳」ではないということです。

このように、誰も何の疑問も持たず、当然の表現として使っている言葉は世間にたくさんあります。法律用語もそうです。殺人事件や強盗事件などの裁判が行われると、人は「○○被告」と呼ぶし、新聞などにもそう書いてあります。でも、「被告」は民事事件でのみ使われる表現で、刑事事件では「被告人」というのが正しいです。「原告」も民事でしか使用されません。刑事裁判には「原告」はいません。刑事訴訟では原告にあたるのは検察官で、裁判所に対して、刑罰法規を適用して犯罪者に対する処罰を求めるのです。刑事と民事で、どちらも「被告」という言葉を使うと、民事で訴えられた場合、何か悪いことをした人というイメージがつくので、あまり好ましくないという人もいます。「容疑者」も正式の言い方ではありません。「被疑者」と言います。でも、テレビや新聞では、当然のように「容疑者」といい、これは一種のメディア用語と言ってもいいようです。「確信犯」も、悪いことと分かっていながらする犯罪だと思っている人が多いですが、実は、信念に基づいて正しいことだと思い込んでする犯罪を意味します。前者は,「悪いことだと知っている」ことになるし、後者は「正しいことだと信じている」のですから、正反対です。

言葉はどんどん変わっていきます。いつの間にか間違った言い方が広がり、根付いてしまうと、もう「正確な表現」が何なのか、わからなくなっていきます。ただし、法の世界では、言葉の正確な意味は、そんなに簡単には変わりません。「言葉イコール法」と言ってもよいくらい、「言葉の表すもの、そしてその範囲」がきちんと決まっていないと、法律で世の中を治めることはできなくなります。司法通訳に携わる者は、それをきちんと踏まえ、間違っても「誤訳」を「意訳」だとうそぶくようなことはすべきではありません。

2018-04-08

「女人禁制」・・・伝統とはいつから?

 4月4日に前代未聞の出来事が起こりました。舞鶴市で行われた相撲の春巡業で、土俵上であいさつをしていた市長がくも膜下出血で倒れ、会場にいた女性の看護師が応急処置に駆けつけて心臓マッサージをしました。ところがその最中に、「女性の方は土俵から降りてください」という行司によるアナウンスが何度も流れたのです。女性は穢れているから神聖な土俵には上がれないという「伝統」があるのです。でも、必死で救命活動が行われているその現場での、あまりにも不適切な内容のアナウンスに、会場にいた人たちが驚いたのはもちろんのこと、メディアやネットでのバッシングが続き、海外のメディアに至っては、そろって日本の女性差別を激しく非難しました。その結果、相撲協会理事長が、アナウンスが不適切だったことを認め、正式に謝罪をするに至りました。

 一連の騒動の中、「伝統を守るのは大切だが、人命を救うことが優先されるべきである」という議論が声高に叫ばれるとともに、「時代にそぐわないそのような伝統は撤廃すべきだ」という意見も出されました。どちらも「伝統」ということが前提にある議論です。でも、いつの時代からの習慣を「伝統」と呼ぶのかという疑問が、誰の意識にも上らないのは不思議でなりません。

 4月6日付の朝日新聞の「天声人語」によると、日本の記紀に初めて「相撲」という言葉が現れるのが日本書紀の女性同士の取り組みを表す言葉としてだったそうです。そもそも相撲は神事だとされている以上、神道の伝統を受け継いでいるはずです。神道では、「産む性」である女性は五穀豊穣の象徴として敬われており、女性蔑視の思想などありませんでした。その証拠に神道の最高神は女神である天照大神です。まさに、平塚らいてう氏が言われたように、「原始、女性は太陽であった」のです。女性は穢れているという思想は、仏教とともに伝来しました。仏教では、女性の存在が男性の僧の欲望を刺激し、修行に集中できなくなるので、女性は穢れたものとしてそばに寄せないようにした、というような理由からそうなったようです。そのような考えがいつの間にか、神道にも影響を及ぼすようになり、神事に関連して「女人禁制」の場所や儀式ができたのです。

 通訳ガイドの仕事していた若い頃、京都のある神社で、宮司さんから神道についての講義を受ける機会がありました。その時に、私は、神道でなぜ女性を穢れたものとして扱うのか尋ねてみました。宮司さんは、女性は月経や出産のときに出血するので、その血が穢れたものとされているのだと説明されました。私は、月経も出産も、子孫繁栄には欠くことのできないもので、神道で大切にする五穀豊穣と相通じるのではないか、それなのに、それに伴う血がなぜ穢れているのかと質問しました。宮司さんは、グッと詰まって、しばらく考えた挙句、「出血の場面は見た目がきれいではないからだと思います」と、非常に世俗的な答えを返されました。その時に私は確信しました。神道には女性の穢れの根本原理は存在しないのです。後に調べてみたら、月経や出産の血が神道で穢れとされるようになったのは10世紀になってからのようです。

 社会制度に関してですが、男系を中心とする婚姻制度、お家制度も、儒教思想の中で日本社会に根付くようになりました。平安時代までは妻問婚が主流で、女性は自分の家族のもとに子供とともに残ることができ、女系家族制度が普通でした。経済的にも多くの女性は男性に服属する必要がなかったようです。「戸主」の概念が導入され、家の主としての男性がおり、それに服属する妻がいる、いわゆる嫁入り婚が主流になるのは、武家社会が始まった鎌倉時代からです。それとともに、女性の社会的地位は低下していきました。

 現代社会では、実力のある女性はどんどん社会で活躍し、経済的にも男性を凌駕しています。このような現象に対して「伝統的な女性像を打ち壊す」などと表現する人がいますが、女性が男性の家に従属していたのは、本当に日本の伝統でしょうか。相撲の世界で「今や、女人禁制の伝統は撤廃されるべきだ」というのも、実はおかしな話です。神道の世界では、かつては女性は穢れとされていなかったからです。二千年の歴史を振り返ることなく、直近の習慣だけを見て、「これぞ日本の伝統だ」と考えるのは、あまりに近視眼的ではないでしょうか。
2018-03-04

出版のお知らせ

『聴覚障害者と裁判員裁判)』(松柏社)という本を出版しました。(2017年、著者:渡辺修、水野真木子、林智樹(故人))

聴覚障害者が被告人である傷害事件のシナリオを基に裁判員裁判での手話通訳の問題点と心構えを解説したもの。模擬法廷のDVD付です。

『法廷通訳の倫理)』(松柏社)という本を出版しました。(2015年、著者:水野真木子、渡辺修)

アメリカのカリフォルニア州法廷通訳倫理規定を中心に、法廷通訳人の倫理や業務上必要な行動について具体的に解説し、日本の法廷で使用できる倫理規定案を提案したもの。

『コミュニティ通訳  多文化共生社会のコミュニケーション』(みすず書房)という本を出版しました。(2915年、著者:水野真木子、内藤稔)

コミュニティ通訳概論、医療通訳、司法通訳、行政通訳、通訳者の役割と倫理、コミュニティ通訳教育についての概説書。現状と問題点、今後の展望などについて詳しく述べている。
2018-03-04

「通訳」とは

 本当に久しぶりのブログ更新です。ブログをやめてFacebookに移行していたのですが、やはり自由に好きなだけ書けるブログに戻ってきました。ついでに、デザイン、プロフィール写真ともに、新しくしました。

 しばらく更新しない間に考えていたことは、「通訳」とは何かということです。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの準備の一環として、通訳者養成の動きが各地で非常に活発になってきています。日本の国際化、特に「内なる国際化」にとって、これはたいへん歓迎すべきことです。「コミュニティ通訳」という言葉も社会に定着しつつあり、多文化共生社会におけるコミュニケーションの重要性が認識されるようになってきました。
 ところが、通訳者養成のほとんどのケースが「ボランティア」の育成という性格を持つものです。もちろん、オリンピックという機会に来日する外国人のコミュニケーションを助けるという目的であれば、ボランティアでも十分でしょう。でも、医療や行政などの人の生活や生命がかかっているような現場で活躍するコミュニティ通訳も、ボランティア通訳者に任せようという風潮は、とても問題だと思います。通訳するという行為は、語学が出来れば誰にでもできるような簡単なものではありません。
 「通訳」は専門職です。日本には国家資格はないけれど、戦後数十年にわたり、多くの先人たちの努力により、高度なスキルを持つ人材のみが、会議やビジネスの場で活躍する体制が出来上がっています。多くのお金を投資し、通訳の学校で最低2年間の訓練を受けた人が、現在プロの「通訳者」として活躍しているのです。しかも、通訳の学校に入った人のうち、プロの通訳者になれるのは少数派です。そのくらい、通訳とは専門的な業務なのです。コミュニティ通訳も、その重要性を考えると、ちゃんとしたスキルを持った人が担うべき業務です。 でも、実際問題として、財政状況はどこも厳しく、しかも来日外国人の多様化に伴ってさまざまな新しい言語の需要が高まるという状況では、時間をかけて本当のプロを養成することは難しいし、コミュニティ通訳の分野では報酬が低く抑えられているので、時間やお金を投資してまで本物のプロになろうという人も少ないです。このジレンマは容易には解決しません。
 「通訳」は専門職です。この事実は変えることはできないし、変えてはいけないことです。そうであれば「ボランティア」を「通訳」という言葉につけて使用する事には大きな問題があるということになります。「ボランティア医師」「ボランティア弁護士」など存在しないように、通訳もボランティアでは出来ない仕事であるということが認識される必要があると思います。でも、会議通訳であれ、コミュニティ通訳であれ、通訳の資格制度のない日本では、このことはとても難しいのです。そして、唯一の国家資格であった「通訳案内士」も、業務独占規制の廃止が閣議決定されました。つまり、資格がない人でも営業できるようになるということです。質の保証よりも増える需要に対応することを優先したということです。
 「通訳」とは一体何なのでしょう。十分な訓練を受けておらず、通訳スキルのない人たちがボランティアで行う活動を「通訳」と呼んでいいものなのでしょうか。外国人と会話をしながら手助けをするという活動ですら「通訳」と呼ばれることがあります。どうして「語学スタッフ」や「語学サポーター」ではいけないのでしょうか。
 資格制度がないという状況で一人歩きしてしまった「通訳」ということば、もう一度原点に立ち返って考えてみる必要があります。

仕事が楽しくなる名言集

presented by 地球の名言

プロフィール

Makiko Mizuno

Author:Makiko Mizuno
水野真木子
(MIZUNO MAKIKO)
金城学院大学文学部教授

若い時には英語とドイツ語の通訳ガイド、その後会議通訳者、そして司法通訳者を経て、今は大学で通訳や翻訳を教えています。
専門は司法通訳、医療通訳など、「コミュニティー通訳論」。暮らしの中での外国人の「言葉の壁」や「異文化コミュニケーション」の問題に取り組んでいます。
このブログでは、通訳問題を軸に、文化やことば、コミュニケーションについて語ります。

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