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Makiko Mizuno
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リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件公判での通訳問題
2011年12月3日に法と言語学会の大会が金城学院大学栄サテライトで開催されました。後半のプログラムは、リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件公判での通訳問題に関するミニ・シンポジウムでした。

これは殺人及び死体遺棄事件で、当然裁判員裁判でしたが、2006年から導入されている被害者参加制度により、被害者の家族が裁判に参加し、それが外国人なので通訳がつくという点では、全国初の事件となりました。逃亡中の犯人逮捕のようすなど、事件自体がマスコミに派手に報道され、大きな注目を集めていましたので、裁判にはマスコミ関係者が多く詰めかけていたはずです。

私がこの裁判の通訳問題に関心を持ったのは、1本の電話がきっかけでした。裁判が結審した日だったと思うのですが、大学の研究室にいる私のところに、Japan Timesの記者であるKさんから電話がありました。Kさんは、リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件を追う目的で裁判を傍聴していましたが、聞いているうちに、法廷通訳の正確性に疑問を持つようになったということでした。それで、オリジナルのスピーチと通訳の訳出を比較し、疑問に思う点をすべてメモし、それらに基づいて専門家の意見を聞いた上で記事にしようとしておられたのです。

Kさんは私との話の中で通訳エラーをいくつか指摘され、こういう不正確な通訳が法廷で起用されているという実態に対し、現体制の問題点についてコメントして欲しいと言われました。私としては、過去のニック・ベイカー事件やベニース事件の際に述べた点を再び強調するしかありませんでした。つまり、法廷通訳には非常に優秀な人とそうでない人が混在しており、法廷で通訳するに足る能力のない人が、現に多くの誤訳やエラーをしているにもかかわらず、他分野の通訳のように市場メカニズムによって排除されることがないという、現体制の致命的な欠陥についてです。

日本の法廷通訳をめぐる状況で顕著なのは、裁判所が、あるいは法律家たちが、通訳者に対して異様に寛大なことです。会議通訳やビジネス通訳であれば、絶対に二度と雇ってもらえないようなレベルで通訳していても、裁判所からは何も言われません。通訳者のことを「先生、先生」と呼んで持ち上げること自体、外語大学などの先生を呼んできて通訳してもらっていた昔の時代そのままの意識でいることの現れです。通訳者をプロであると認識していれば、そのような呼び方はしないはずです。そして、そのパフォーマンスに対して、もっと厳しくなるはずです。

また、通訳者たちに関しても、一緒独特のグループを形成していて、他の分野の通訳者たちの持っている常識とは異なる常識に基づいて仕事をしている人たちが結構いるようです。一般の通訳とは異なる尺度の最たるものが、どんな長い裁判になっても1人でやりたいと言う人が多いということです。

リンゼイ・アン・ホーカーさん事件の裁判では、法医学的内容が多く扱われ、窒息に関する議論などでは、通訳者がついていけなくて悲鳴を上げたという新聞記事もありました。このような事態が当然予想されるにもかかわらず、裁判所は、通訳人本人が一人のほうがやりやすいと言ったという理由で、2人体制にはしませんでした。これは暴挙とも言うべきことです。プロの会議通訳者なら、このような仕事の場合、必ず複数体制を主張しますし、タイマーなどを使って20分か30分ごとに交代するということを、ごく当然のこととして行っています。

国連によるものをはじめとする様々な研究によれば、通訳者が生理学的および心理的に正常に稼働できる限界は30分だということがわかっています。30分を超えるとミスが出始め、1時間を超えたころになると、一種の虚脱状態に陥ってしまい、自分のミスにも全く気付かず、大変な誤訳をすることもあるということです。これは同時通訳を対象とする研究ですが、法廷という緊張を要する現場で、しかも高度に専門的な内容を扱うのであれば、逐次通訳であっても、これと同様の、あるいはもっとシビアな状況に置かれていると考えてもよいと思います。

長時間の通訳でも1人でやりたいと法廷通訳人が希望する背景には、報酬の問題があるという人がいます。法廷では会議通訳のように拘束時間で金額が決まるのではなく、実際に通訳している時間だけしか支払われないからだというのですが、法廷通訳の報酬に関しては非常に不透明なところがあり、裁判官の裁量で決まることも多いと聞きますので、真偽のほどは明らかではありません。

いずれにせよ、現在のような法廷関係者と通訳人との間のなれあいとも言うべき状況を排し、市場原理にさらされる会議通訳の世界のような厳しさを持たなければ、いつまで経っても不正確な法廷通訳の問題はなくならないでしょう。

ある検察官が、「法廷通訳には会議通訳のレベルを求めていない」と明言しました。しかし、法廷では正確性が第一だということも述べていました。それは矛盾に満ちた発言です。私は法廷通訳が会議通訳に比べてレベルが低いと言いたいわけではありません。ベテランの会議通訳者に決して負けないレベルで仕事をしている人も多く知っています。ただ、会議通訳の世界では完全に排除されるレベルの人も堂々と通訳することができるという異常さを指摘したいだけです。

公正な裁判のために正確な通訳は不可欠です。裁判所、そして法律実務家の人たちが、何とかこの問題に真剣に取り組んで、レベルの高い法廷通訳人が育つ環境を作ってほしいものです。

リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件公判での具体的な通訳エラーについては、ここをクリックし、英字新聞の記事を読んでください。


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Makiko Mizuno
Diary


大地震が起きた時
 3月11日、東日本を地震と津波が襲った時、私はハワイのホノルルにいました。科研費研究プロジェクトの一環として、ハワイ大学法科大学院でのプレゼンやハワイの法廷での傍聴などを中心に、研究のために訪れていました。

 ハワイ滞在のちょうど3日目、大切なプレゼンを無事終えた日の夜8時ごろ、日本でマグニチュード8.9の大地震が起きたというニュースが流れ、それに続き、ハワイに津波が来るということで、ハワイ全土に警報が鳴り響き、TV番組がそのニュース一色になりました。

 計算によると午前3時9分にオアフ島に津波が到達するので、住民はみな、海辺から離れて山のほうに避難するようにという勧告が出されました。津波の高さは6フィート、つまり2メートルくらいだと予想されるが、太平洋上の最後の観測地点以降は、実際にカウアイ島に最初の津波が来るまでは、その高さは正確には予測できないということでした。

 ビルの6階以上は大丈夫なので、観光客はホテルの上層階に留まるようにと言われましたが、私の部屋は32階、研究グループの他のメンバーの部屋は30階だったので、特に移動することもありませんでした。でも、もし2メートルの津波が来たら、ホテルの下層階は水浸しになり、電気や水道関係がすべて機能しなくなることは当然予想されました。高層階から外に出るだけでも大変です。私たちは可能な限りの水と食べ物を用意し、1、2日はホテルに籠っても大丈夫なように,準備をしました。

 「予定の時刻の3時9分までにあと○○時間○○分なので、早く高いところに逃げるように」という放送が繰り返し行われる中、ワイキキの街から人と車がだんだん消えて行きました。リアルタイムで浜辺の様子がTVで映し出されていましたが、わざわざ津波を見物しようと浜辺に出ているお馬鹿な3人の人影に向かって、警察のヘリコプターが避難を命じる様子も映りました。

 夜の12時を過ぎるころには、通りはゴーストタウンのようになっていき、高層ビルのホテルに留まっているのは、まるでノアの箱舟にいるような気分です。取り残されていくという孤立感を強く感じました。

 ずっとTVをつけていましたが、日本で津波が町を押し流している恐ろしい映像が繰り返し放映されました。まるで映画のシーンのようで、こんなことが実際に起こったなんて、信じられない気持がしました。アメリカ人たちにとっても、かなりショッキングな映像だったようです。

 それを見ていると、本当にホテルなどのビルは大丈夫なのだろうかという恐怖の気持ちがわいてきたので、私たちはホテルを出てハワイ大学などのある高台まで行こうか、というような相談もしました。そこまで歩くには最低1時間はかかるから、2時までには決意しなければなりません。私はハワイ在住の友人に電話で相談したら、本当に避難するなら車で迎えに行くけど、ホテルは絶対に大丈夫だと思うよ、と言われました。結局避難するのはやめてホテルに留まることにしましたが、後で聞いたところでは、その時には警察が道路を封鎖していて、どちらにせよ、その友人はワイキキには入れなかったそうです。

 私はずっとTVの前にくぎ付けになっていましたが、予定の3時9分が近付くにつれ、恐怖心と緊張が高まり、心臓の鼓動は早鐘のようになり、息苦しくなりました。あんな長時間、極度の緊張にさらされたことは初めてで、異常な体験でした。

 結論としては、ワイキキには津波らしいものはほとんど来ませんでした。昔からハワイの王族の別荘地だったところなので、自然災害による被害は少ない場所だろうと考えていましたが、やはりその地形から、大きな波は寄せにくかったようです。マウイ島などでは道路まで水をかぶり、多少の被害はあったようでした。ハワイより本土のカリフォルニアのほうが被害が大きく、一人、津波に流されて亡くなった人も出たようです。

 その日は、安全を確信するまで、朝の4時頃まで起きていましたが、ずっとTVの報道を見ていて、色々と感じたことがありました。

 まず、災害に際して、アメリカ政府は日本政府に比べ、国民を守るという意識が強いということです。今回の津波に関しても、もし津波が来た場合、警察、病院その他、国民を守る体制がどうなっているかについての情報をきちんと流していました。日本の場合、被害状況についての報道はあっても、国民を政府がどう守るかという点については、全く何の情報もありません。情報どころか、そういう態勢が整っていないのでしょう。危機管理という点では、日本は本当に平和ボケしていると感じます。今回の大災害で、その弱点がもろに表れたと言っていいでしょう。

 原発事故についても、日本政府の避難勧告が原子炉から20キロや30キロ圏内だった時に、アメリカ政府の在日アメリカ人に対する避難勧告は80キロでした。情報を小出しにして「安全だ」「健康被害はない」と言い続け、結局、次々と避難勧告の対象を広げていかざるを得なくなっていた日本政府に対して、人々の間で、本当に国民を守ることなど出来ないのではないかとの不信感が募っているのが現状です。
 
 今回の報道で、非常にハワイらしいと感じたこともありました。ニュースのレポーターの男性が「僕のお父さんは今仙台にいるんだ。無事なのか、心配でたまらない」と、個人的なことを視聴者に向かって言うのです。そして、しばらくすると、同じレポーターが「お父さんと連絡がついて、無事が確認出来た」と視聴者に報告しました。それに対し、他のキャスターやレポーターが皆で拍手する様子も放映されました。日本ではありえない光景だと思いました。皆が大変な時には自分のことは言わないのが日本の美徳です。家族が亡くなっていても、それについては何も語らず、ひたすら自分の任務を全うする姿を美しいと感じるのが日本人の国民性です

 でも、その時思ったのですが、あれほど悲惨な津波の映像が繰り返し流される中、そのレポーターの父親が災害の真っ只中で無事だったという報告は、視聴者の心に1つの灯明となって、救いの役割を果たしたのです。こういうことも大切なのかもしれないと、あらためて感じました。

 また、ハワイ全土に津波への警戒と緊張が高まっていた中で、ニュースでレポーターが「みんなで団結して助け合いましょう。みんな「オハナ」です。」と、繰り返していました。ハワイアン・スピリットの中でも最も大切な「オハナ(家族)」が強調されたのです。その言葉を聞くだけで、何となく温かい気持ちになるのがハワイです。

 今、日本は本当に大変です。原発事故のために災害後の復興もままならないし、その影響によって、元々予想されていた経済破綻という爆弾への導火線が、確実に短くなりました。日本人が本当に賢い民族かどうかが、今後の国の在り方に直接反映してくるでしょう。政治家たちは、次の選挙での票の行方ばかりを気にしており、日本の将来にとって本当に必要な決断が下せないでいます。有権者も、今100円くれるけれど明日1000円を奪い取っていく人がいいのか、今は100円取るけれど明日1000円返してくれる人がいいのか、よく考える必要があると思います。

 いずれにせよ、今回の震災がこの国にとっての大きな転換点になることは間違いないことでしょう。


Makiko Mizuno
Diary


ベニース事件、控訴棄却
10月22日にベニース事件の控訴審の判決が出ました。予想通りの控訴棄却です。審理を通して、裁判所が通訳問題に対し、どのようなスタンスを持っているかがよくわかりました。

初日に弁護人が、控訴審の通訳人の質を確認するために、通訳人に対していくつか質問したいと裁判長に許可を求めました。裁判長は「その必要はありません。裁判所が選任した通訳人ですから、能力に問題はありません。」と言い切りました。裁判長のこのセリフで、この裁判の結果はすでに明白となりました。「裁判所が選任した通訳人に問題はない」ということは、この裁判の第1審の通訳人も裁判所の選任によるものであり、それも問題はないと暗にほのめかしているようなものです。すでに結論は出ていたのです。

通訳の正確性に関する鑑定書は、そのほとんどは「必要なし」「不適切」とされ、証拠として検討されることもありませんでした。何度も繰り返しますが、鑑定内容に対する批判があれば、他の専門家による鑑定を行わせ、法廷で通訳の正確性に関する科学的かつ実証的な鑑定論争を行うのが通常のあり方だと思いますが、それすら行われず、法律家の単なる「考え」に基づき、すべてが否定されました。

私たち「法と言語」の研究者がいくら研究成果を出しても、法律家が一切耳を貸さないのであれば、研究成果を社会に還元できません。これでは何のための研究なのかと、大変に落ち込みました。

取り調べの可視化の研究で大変著名な、成城大学の指宿信教授がこの顛末についてメールで以下の趣旨のコメントをくださいました。

司法の現実に向き合うのは一筋縄ではいかない。心理学者たちにとっても長い道のりだったが、足利事件のように15年前の鑑定が正しかったということが証明されることもある。気を落とさないように・・・。

大変心に沁みるお言葉です。少し希望が出てきました。




Makiko Mizuno
Diary


ベニース事件のその後
本ブログでも何度か取り上げたベニース事件が結審し、あとは10月22日に予定されている判決言い渡しを待つだけです。

この事件では、第1審の通訳の質が問題になり、複数の専門家による鑑定書が提出されたことが特徴でした。ところが、この数ヶ月間の控訴審を通して明らかになったことは、裁判所は法廷通訳問題については、完全に「見ざる聞かざる言わざる」の姿勢を貫くことにしている、ということでした。通訳問題を議論することは不必要かつ不適切だとされたのです。

弁護人による被告人質問でも、通訳をめぐる問題に触れることが厳しく制限され、通訳が問題になったから控訴された事件で、被告人に対し、通訳について質問できないという、普通の感性の人間にはとても理解できない状況になりました。

鑑定に関してですが、最初の鑑定書は控訴趣意書とセットで提出されたので、かろうじて証拠として認められましたが、その鑑定書に対する検察側の意見書が出され、それが言語学の専門家の目から見たら、全く的を射ていない内容だったので、さらに、複数の別の専門家による鑑定書が弁護側から出されました。それは、最初の鑑定書の内容を強化するものでした。

ところが、検察官は、それらの鑑定書を一切証拠として認めないという姿勢を取りました、その理由には、鑑定に関わった私たち専門家は唖然とするよりほかありませんでした。

まず、鑑定人たちは同じ学会に属し、活動をともにしているから不公正な集団であるというのです。同じ研究分野の人間が同じ学会に属することはごく当然です。学会そのものに鑑定が依頼されるケースもあるのですから、そのような批判は的外れです。

それから、鑑定人たちは学識経験者ではなく、内容も個人的意見にすぎないとされました。法と言語の分野で私たちが学識経験者でないとすると、誰が学識経験者なのでしょうか。そのような無理な理由をつけて鑑定書を否定するよりは、別の専門家に鑑定させて、堂々と対決すればいいと誰もが思うことでしょう。私たちも、他の研究者によって、より高度で科学的なエビデンスをもって、私たちの鑑定結果が否定されたのであれば、同じ研究者として、それを喜んで受け入れたでしょう。

さらに、検察の言い分では、私たちが指摘している第1審の通訳エラーは、すべて「意訳」の範囲であるということでした。法廷で認められる「意訳」とは、「目標言語で意味が通りやすくするために表現方法は変えても、原発言の情報の内容と密度は変化していない訳」です。ベニース事件の第1審の通訳は、その「意訳」の範囲に収まるようなものではありませんでした。検察側が「意訳」であるとするなら、法廷通訳における「意訳」とは何か、専門家による検証を求めるべきだったと思います。

言語に関わる証拠に対する検察の姿勢は以上のようなものであり、私たち研究者には信じられないことばかりでしたが、今、大変問題になっている特捜検事証拠改ざん事件の例を見ても、日本の検察にとっては、言語学の専門家たちを貶め、その学識経験を土足で踏みにじることぐらい朝飯前なのだということがよくわかりました。本当に恐ろしいことです。

さらに、鑑定論争どころか、法廷通訳に関する話題は絶対に避けるという裁判所の姿勢は、あまりにもいびつで、日本の司法には本当に正義はあるのだろうかと、非常に不安になります。

司法とは秩序を守るために存在します。全体の秩序を守るためには、個々の正義を犠牲にしてもかまわないという考えが主流であり、それをよしとしない裁判官は異端者だとされるのが現状だと聞いたことがあります。通訳問題にメスを入れることは、おそらく大変な資金とエネルギーを要することでしょう。ある意味、秩序を乱すことになるのかもしれません。でも、世界の多くの先進国は、それをきちんとやっているのです。

今回、通訳の問題がこれほど明らかな証拠として示された事件においても、それが議論すらされなかったとなると、今後、通訳人が、有罪が無罪に変わってしまうほどの大失態をおかさない限り、通訳問題がまともに取り上げられることはおそらくないでしょう。これが日本の法廷通訳をめぐる現状です。


Makiko Mizuno
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Critical Link 6 参加とバーミンガムの法廷ツアー
7月25日から8月2日にかけて、イギリスのバーミンガムで開催されたコミュニティー通訳の国際学会であるCritical Linkの第6回大会に参加してきました。今回は前回に比べ、日本からの参加者も多く、日本のプレゼンスが高まったと思います。

私は個人発表(共同)とパネルの両方に参加しました。多くのセッションが並行して行われるので、聞きに来てくれた人は少なかったけれど、司法通訳の研究で有名なイスラエルのRuth Morris先生を始め、研究者として非常にレベルの高い人たちが集まり、質疑応答などを通して大変すばらしいフィードバックが得られました。

また、韓国や香港の研究者で、私たちと同じように司法通訳の言語分析をやっている人たちと親交を深めることができ、今後のアジア(特に東アジア)の研究者の情報交換の場を構築するという構想の土台ができました。それが一番の収穫でした。

バーミンガム裁判所 small 2


第1日目にバーミンガムの法廷見学のツアーに参加しましたが、裁判所は歴史的に価値のある本当に素晴らしい建物で、そのことだけでも感激しました。そこでは、Magistrate Court(治安判事裁判所)の裁判を見ましたが、これは軽犯罪を裁く裁判で、本物の法律家ではなく、市民を代表する一般の人が裁判官の役割を果たします。ですので、判決はまさに市民的感覚で行われ、「本当は罰金50ポンドだけど、2日も警察にいたから、チャラにしてあげる」とか、「罰金は分割でいいけど、今日は取りあえず20ポンド払いなさい。」「今日は持ち合わせがないんです」「えー!お金も持たずに裁判に来たの?」などというやり取りが裁判長と被告人の間で交わされます。誰が裁判官かによって、同じことをしてもずいぶん判決内容が異なるそうです。

ここでの法廷傍聴中に面白いことが起こりました。トコロテン式に次々と被告人が出てきて、すぐに判決が下るのですが、たまたま外国人の被告人だった時に、警察か通訳人の手配を忘れていました。でも、特にあわてた様子もなく、通訳人がいないまま、裁判は行われました。裁判長は「ゆっくり話せば英語はわかるね」と言うと、被告人は「イエス、イエス」と言います。外国人の中には何もわからなくても「イエス」と言う人は多く、その時も被告人の顔を見ていると、とても内容が分かっているようには感じられませんでした。分からない言葉は、いくらゆっくり話しても分からないものです。検察官のいかにも検察官らしい英語表現など、分かるはずもありません。でも、裁判は、被告人が理解したものとして最後まで行きました。もちろん、たいした犯罪ではないので、後でソリシター(事務弁護士)が説明すればそれですんだでしょう。その時ツアーで傍聴していた私たちは、世界各地から集まった司法通訳の研究者たちです。奇しくもそのタイミングでそういうことが起こったので、恰好の話題となり、後でそれで話が盛り上がりました。

7年ほど前に法務省の委託でイギリスの司法通訳制度の調査を行ったのですが、その時に、通訳の手配はしっかりしたシステムによって行われていることを学んだのですが、そんなイギリスでも、このようなミスがけっこう起こっているということなのでしょう。もちろん、Magistrate Courtのレベルだったから、通訳なしでも裁判をやってしまったということでしょう。でも、本来は、通訳なしに英語が分からない外国人被告人を裁くことは法律違反のはずなのですが・・・。

crown court small


Magistrate Court のあと、Crown Court(王立裁判所)も見学しましたが、ここでは、プロの法律家による普通の刑事裁判が行われます。法服とウィッグを身に付けた法律家たちの格調高い弁舌を聞くことができました。Magistrate Courtでは、裁判官は普通の服装だし、話し方についても、ごく普通の市民同士が話しているような場面が多いです。Crown Courtはまったく別世界の感じで、いかにも「イギリスの法的空間」らしい雰囲気です。そのようなところで通訳するのは、かなり難しいだろうなと感じました。「法的空間」における言語使用が非常に独特のものであり、それが法律家を法律家たらしめているという現象が世界共通であることを再認識しました。



Makiko Mizuno
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