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Makiko Mizuno
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通訳のジレンマについて
通訳のジレンマについて

 2001年に『通訳のジレンマ』という本を出版しましたが、「ずっと言いたかったことを代弁してくれた」と、現役通訳者の方たちから非常に好評でした。ある通訳者の友人が言うには、「ジレンマ」という言葉は通訳の仕事を最もうまく象徴する言葉だそうです。通訳者というのは、自分と他者との間の橋渡しをするのが仕事で、自分を出さずに他人のために語るのですから、自己というものを持っている以上、必ず何らかのジレンマに直面します。そういうジレンマを分析する作業を通して、通訳という仕事の本質が見えてくるのです。
 このブログでは、拙著の内容にも触れながら、もう一度、「通訳のジレンマ」について考えていきたいと思います。

 「ジレンマ」ということばですが、司法の場でのジレンマというと、裁判官のジレンマについてはよく取り上げられています。なぜ裁判官がジレンマを感じるのでしょう。例えば、鑑定証人が出て来る時に、裁判官は非常に大きなジレンマを感じると言われます。それは、こういうことです。裁判官というのは法医学をはじめとする色々なことがらに関して専門家ではないので、自分で判断を下すことが出来ないから、鑑定証人を呼びます。でも、鑑定証人の証言に基づいて判断を下すのは、やはり自分です。つまり、わからないから鑑定証人を呼ぶ一方で、自分が判断を下さなければならない。これが大きなジレンマであると感じている裁判官が多くおられるということです。 
 また、アメリカの通訳論の本を読んでいましたら、”Judges’ dilemma”(裁判官のジレンマ)という大きな項目がありました。それは通訳に関することでした。判事たちは、自分たちが言語がわからない、つまり英語しか話せないから通訳を雇わなければならない。しかし、言語がわからない自分たちが、言語を通訳する人を選ばなければならない。それが大きなジレンマである、ということでした。
 このようなことは、司法通訳人に関しても言えるのではないかと思います。鑑定証人が出てくる場合を考えてみます。通訳というのは、内容がよくわからないと訳せません。ところが、鑑定証人が出てきて、色々と専門的なことを話します。そして、通訳人は、それをその場ですぐ訳すことを求められます。でも、内容についてよくわからない通訳人がそれをその場で訳すことには無理があります。例えば、会議通訳の場合は、前もって勉強する機会が与えられます。資料もたくさん来ます。ところが、司法通訳の場合は、守秘義務もありまして、どんな鑑定の内容が法廷で話されるのかというようなことは教えてはいけないことになっています。多少は教えてもらえるかもしれませんが、細かい核心部分については前もって知ることは出来ません。その微妙な部分が争点となって、審理のゆくえに影響を及ぼすことがありますので、公判の日までは、秘密にしておかなければならないのです。そうなると、前準備がしてあってはじめて、通訳はしっかり訳すことが出来るのに、前準備が何もない状態で公判に臨んで訳さなければなりません。ここにジレンマがあります。守秘義務を優先するか、正確な通訳を優先するか。つまり、体制自体が持つジレンマということになります。これが、司法の場での通訳のジレンマの1つの典型でしょう。
 拙著『通訳のジレンマ』では、大きく分けて3つのタイプのジレンマについて述べました。その3つとは「インサイダーとアウトサイダーのジレンマ」、「透明人間と解説者のジレンマ」、「人間と道具のジレンマ」です。このブログでは、通訳者が直面するジレンマというものについて、いくつか例を挙げながら、様々な角度から考えてみたいと思います。


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Makiko Mizuno
エッセイ(通訳のジレンマ)


異文化伝心(6) その行為は「強盗」?それとも「お祭り」???
その行為は「強盗」?それとも「お祭り」???

 英語で“Cultural Defense”という表現があります。日本語では、「異文化による防御」とか「異文化抗弁」のように訳されています。誰かが何か犯罪を行った際に、文化に特有の理由を挙げて、その犯罪を正当化したり、罪の軽減理由にしたりするときに使われる表現です。例えば、何らかの挑発を受けて激怒状態に陥り、人を殺してしまったような場合、その元となった行為が、ある文化に属する人たちにとってのみ、挑発にあたるような時、それを「異文化抗弁」として罪の軽減を求めたりするのです。
 多文化社会であるオーストラリアやアメリカでは、この概念が裁判関係者の間でかなり浸透しています。例えば、1983年にオーストラリアで起こった「Dincer事件」と呼ばれているケースはその典型例です。16歳の自分の娘がアングロサクソン系の男友達と性的関係を持ったことを知ったトルコ系イスラム教徒の父親が逆上して、男友達の面前で娘をナイフで刺殺してしまったという事件ですが、裁判所は「挑発」があったと認めました。イスラム教徒の男性にとって、「娘の純潔」というものが、いかに大切であるかということ、そして、異教徒である男性との性的関係がいかに許しがたいものであるかということが、裁判所によって認められたということです。
 アメリカで「異文化抗弁」が問題になり、日本でも話題になった事件がありますが、それは日本人母子の無理心中事件です。母親が子供を道連れに死のうとしたのですが、子供は死に、自分だけ助かったという事件です。アメリカの法廷では、子供を残していくのはしのびないので自分と一緒にあの世へ連れて行く、という日本人的な愛情の形は、罪を軽減する理由としては認められませんでした。単なるエゴイスティックな殺人であるとされました。自分も一緒に死ぬからといって、子供を殺す権利はないということです。
 日本にも、多くはありませんが、このようなケースが存在します。知り合いの弁護士さんから、こんな話を聞きました。
 あるナイジェリア人が、日本からお金を奪ったという事件でしたが、お金を奪う際に、彼は、台所から包丁を2本持ってきて振りかざして、日本人を脅したというものでした。これは、日本では当然、強盗罪です。実は、この加害者と被害者は友人でした。一緒に商売を始めようということになり、日本人が資金を用意して見せたところ、ナイジェリア人が突然、そのような行為に出たのでした。
ところが、裁判が始まると、このナイジェリア人は、自分は強盗なんか決してしていないと主張しました。彼の理由はこうです。彼はナイジェリアのイボ族出身で、彼の部族は「ヤム・フェスティバル」と呼ばれる特別なお祭りをする。主食のヤム芋の収穫期に、2本のナイフを振りかざして踊る。1本が古いヤム芋、もう1本が新しいヤム芋を象徴し、収穫を迎えて新しいヤム芋が古いヤム芋に取って代わることを祝うのだ。だから、自分が包丁を振りかざしたのは、日本人の友人を脅したのではなく、お金が出来たことをお祝いしたつもりだった。お金を持っていったのは、友人の間では、自分のものは相手のもの、相手のものは自分のものというルールがあるからだ。
 これは、とてもユニークで面白い正当化です。私が裁判長だったら、ユーモア賞として、無罪放免にしてしまうかもしれません。でも、もちろん、現実はそれほど甘くはありません。裁判所は一応、民俗学者に意見を求めたようですが、そのような祭りが存在するというはっきりとした確証もなく、このことが、罪を軽減する理由とはならなかったようです。
 この事件のことを司法関係者に話すと、必ずといっていいほど、「ここは日本ですよ。」という反応が返ってきます。「日本の常識に従ってください。」というのが、多くの人の考えでしょう。たしかにそうです。でも、内なる国際化が進み、様々に異なる「常識」が混在するような社会になってきたら、もう、「日本の常識」と言ってばかりいられなくなるでしょう。
 通訳者は「言葉」の橋渡しをします。それは「文化」の橋渡しをすることに他ならないし、もっと言えば、「常識」の橋渡しをすることにもなります。例えば、法廷で「異文化抗弁」に遭遇した通訳者は、それをばかげた言い訳だと受け止めるかもしれないし、根拠のある正当な理由であると考えるかもしれません。そして、通訳者自身の受け止め方によって、通訳内容は微妙に変わるものです。文化に特有の「常識」をしっかり把握しておくことも、正しい通訳にとって不可欠な要素なのです。


Makiko Mizuno
エッセイ(異文化伝心)


2008年11月6日
愛知学院大学で講演

 11月6日に愛知学院大学の人間文化研究所のお招きで、「多言語・多文化社会とコミュニティー通訳」というタイトルで講演をしました。郊外の大変広々とした気持ちのいいキャンパスでした。
 質の高い司法通訳や医療通訳がいかに大切かを、様々なエピソードを交えてお話しましたが、大変関心を持って聞いておられる学生さんも多く、こちらも楽しく話をすることが出来ました。
 愛知県は外国人登録者数が全国2位ですが、一般の人はまだまだそういう現状に対する認識が薄いようで、学生さんたちもちょっと驚いていたようでした。
 また、社会人の聴講生の方が、さっそく講義レポートをメールで送ってくださり、非常に感銘を受けました。社会人の方々の学びに対する熱意は本当にすばらしいです。
Makiko Mizuno
Diary


全米医療通訳評議会倫理規定日本語版
全米医療通訳評議倫理規定日本語版が同会ホームページにアップされました

 全米医療通訳評議会は全国規模の医療通訳者の組織で、2008年度から全米統一認定制度の実現に向けて動き出しています。2004年に発行された同会の「医療通訳者倫理規定」は内容が非常に深く、世界でも高い評価を受けています。
 この倫理規定を、大阪の「みのお英語医療通訳研究会」の西野さんと石崎さんと一緒に日本語に翻訳していましたが、この度、同会からの申し出により、この日本語版をホームページに掲載することになりました。
 関心のある方は、ここをクリックしてください。
Makiko Mizuno
「医療通訳」新情報


2008年11月3日
岡山県国際交流協会で講演

 11月3日の祝日に、岡山県国際交流協会で開催された医療通訳ボランティア・スキルアップ講座で講演をした。コミュニティー通訳概論、医療通訳、通訳トレーニング法と3パートに分けてお話しさせていただいた。参加者の中にはすでに医療通訳の経験をしている人もいて、かなり医療英語に精通しておられるようだった。
 今回は英語通訳者対象だったが、やはり中国語、ポルトガル語の比重が高いようだ。私の講演終了後に、ブラジル人の女性の経験談があったが、この方は若いころ盲腸で手術を受けたそうだ。その際に、自分が一番日本語が出来るので、患者本人でありながら、両親と医師や看護師との間の会話を通訳させられたという。大変なことだ。
 最近は各地で医療通訳養成の動きが活発だ。色々なところに講師として呼んでいただくが、何とかレベル面でも報酬面でもボランティアからプロへと移行できるような体制が整えられないかと、いつも思う。 
Makiko Mizuno
Diary


異文化伝心 (その5) マッチョなのもいいけれど・・・
マッチョなのもいいけれど・・・

 最近、通訳をする機械のことが話題になったりしていますが、なかなか実用化しそうにありません。簡単な決まり文句なら訳せるけれど、少し複雑な内容になると、機械ではお手上げです。それは、人間のコミュニケーションは、その多くの部分を非言語的要素に頼っているからです。私たちはみな、話をしている人の顔つき、視線の動き、身振り、言葉の抑揚、声の出し方などの非言語的要素を全て、無意識のうちに分析しながら、その人の言おうとしている内容を感知しています。
 その証拠に、言葉だけを聞いて理解するのはけっこう難しいことです。私の母は、岐阜県の人なので、関西弁には慣れていません。よく京都の私の家に遊びに来るのですが、電話を受けるのを極端にいやがります。面と向かって話す時はちゃんとわかるのに、電話で関西アクセントで話されると、内容がよくわからないそうです。また、ロボットが話すような、抑揚を完全に消した状態で話を聞いても、やはりよくわからないことが多いです。非言語的要素を減らせば減らすほど、話の内容は把握しにくくなります。
 このようなことを考えても、機械で完璧に通訳することは、おそらく可能にはならないでしょう。人間のコミュニケーションとは、それほど複雑な物なのです。通訳のような作業は、どうしても、人間にしかこなせない仕事なのです。
さて、自分の目の前にいるものが人間である場合、私たちは色々なことを考えるし、様々な思いを抱きます。それが通訳者であっても、同じです。通訳者を言葉を訳すための機械であるなどとは誰も思いませんので、通訳者という存在が、それを利用する人間の心の状態に何らかの影響を及ぼすのは避けられないことです。そして、そのことによって、様々な喜悲劇が生まれます。

 アメリカの法廷で、こんなことが起こりました。
 労災補償の裁判で、ヒスパニック系の男性の原告が法廷で証言する時に、そのスペイン語を英語に訳すための通訳者が付きました。この男性は、自分が怪我のために障害を負ったので、その補償を求めて裁判を起こしたのでした。ところが、非常に重要な場面で、この男性は信じられないような証言をしたのです。

弁護士: Xさん、あなたは、事故の前に出来ていたことで、今は出来なくなっていることが何かありますか。
原告: 僕は何でも出来ますよ。出来ないことはないです。
 原告は、自分の肉体的な障害を、はっきりと、誇りを持って否定したのだ。
     (Elena M. de Jongh “An Introduction to Court Interpreting”,1992より)
       
なぜこんな証言になったかというと、その時付いた通訳者が女性だったからです。原告であるヒスパニック系の男性の属する文化では、「男らしさ」が非常に重んじられ、大の男が女性の前で弱音を吐くなんて、死ぬほど恥ずかしいことだったのです。ですから、自分の障害、つまり、「自分に出来ないこと」について証言しなければいけない場面で、見栄を張って、「自分に出来ない事はない。何でも出来る。」と言ってしまったというわけです。この男性にとっては、補償を受けることよりも、女性の前で男としての名誉を守ることのほうが大事だったのです。笑い話のようですが、本人にとっては、ある意味で悲劇です。

 次は、在日韓国人で法廷通訳をしている若い男性に聞いた話です。
 韓国は、日本よりも儒教的価値観が深く根付いた社会であり、長幼の序列が厳しいので、人々は自分よりも年上を敬うのが当然とされている、そして、そのために、司法通訳の現場で弊害が起こっている、と彼は言いました。
若い通訳者が、警察などの取調べで、年配の韓国人の通訳をするとき、「若造のくせに、わしを取り調べるのか。」というように見下す態度を取り、まともに話をしてくれない人がいる。そして、年配の通訳者が付くと、とたんに協力的になって、何でも話すようになる、という現象が実際に起きているそうです。
 「年配の通訳者の中には、けっこういい加減で、きちんと訳さないばかりか、そのことを一向に気にもしていない人が多く、どう考えたって自分のほうが通訳としては優秀なのに、若いというだけで拒否されるなんて・・・。」
と、彼は嘆いていました。
 これも、(たとえ通訳であっても)若い人間に取調べなどされたくないという、年長者としてのプライドゆえの行動なのです。
 2007年に仕事で韓国に行きましたが、仕事の関係者の多くが私の年齢を知りたがりました。それによってどのような態度で接するかを決める必要があったようです。1日でも年上であれば、その人を敬わなければならないという社会通念が今も生きているようです。

上記の例から、通訳人という人間に対して人が抱く感情が、司法手続きの流れを変えてしまうこともあるということがわかります。

 少し視点は異なりますが、次のような例もあります。
 第二次大戦後の東京裁判で、東条英機を筆頭に24人のA級戦犯が裁かれました。英米式の裁判ですから、有罪か無罪かを争う場です。被告人は、罪状認否の時に、「無罪」を主張しなければなりません。被告が「無罪」を申し立ててはじめて、裁判が成立するのです。
 ところが、被告人の多くが「この期に及んで無罪を主張するなんて、そんな恥ずかしいことは出来ない。日本男子の名折れである。」と、それを拒否しました。弁護団の「無罪の申し立てがないと裁判が始まらない。英米式の裁判ではどうしてもしなければならない儀式のようなものだから」という説得で、ようやく「無罪」の申し立てをすることになったのです。
 少しずつ情況は違いますが、それぞれ、プライドや名誉に関わる事例でした。ヒスパニックの男性の「補償金よりも大事なのは男らしさを示すことだ」という感性に象徴されているように、自分の裁判のゆくえよりも、名誉の方が重要だというのは、いかにも人間らしい不合理さです。そして、その不合理さを支えているのは、やはり、文化的な要素なのです。


Makiko Mizuno
エッセイ(異文化伝心)


出版物紹介
通訳関連の書籍を紹介します。

過去に出版した拙著を3点紹介します。

1)『グローバル時代の通訳』(共著) (三修社)
  プロの通訳者になるための訓練を受けている人、大学の通訳コースで学ぶ学生、そして、通訳 に限らず、将来さまざまな分野で国際的な仕事につきたいと思っている人にとって必ず役に立つ、「通訳の理論と実践」の指導書である。それぞれの専門家の視点から問題を提起して、平易に解  説し、通訳のトレーニング法まで設けている。
                            ご購入はこちらです。

2)『司法通訳・・・Q%Aで学ぶ通訳現場』(共著) (松柏社)

 刑事訴訟の専門家と法廷通訳のプロが、劇的に増えつつある外国人刑事事件による実際の裁判を再現し、経験に基づき刑事手続、専門用語、および職業倫理を分かりやすく解説。司法通訳のバイブル!
                            ご購入はこちらです。

3)『通訳実践トレーニングセット』(共著) (大阪教育図書)

 メモ取りをしながらの逐次通訳やサイト・トランスレーションの学習などにより実戦的な通訳能力を身につけるテキスト、学習方法と模範通訳例を分かりやすく解説した別冊、シャドウイングや同時・逐次通訳の練習が可能なCDを収録したトレーニングセット。
                            ご購入はこちらです。


Makiko Mizuno
著作


「通訳のジレンマ」連載開始
エッセイ「通訳のジレンマ」の掲載を開始します。

 数年前に絶版になった拙著『通訳のジレンマ』(日本図書刊行会)で取り上げた内容やエピソードを加筆・修正して、新たにご紹介します。
掲載は11月中旬より。
Makiko Mizuno
お知らせ


異文化伝心 その(4) 裁判と手話
裁判と手話

 何年も前に京都地方裁判所に傍聴に出かけた時のことです。英語の通訳が付いた外国人被告人の事件を傍聴したあと、たまたま、その日に聴覚障害者の裁判があり、手話通訳が付くことを知りました。これ幸いと、さっそく傍聴しました。
 被告人は、無銭飲食で捕まったろうあ者の老人でした。現在のように、聴覚障害者のための特殊な教育機関もほとんどない時代に育った人です。体系立った手話の習得もしていません。手話というよりも単なるジェスチャーのような身振りが目立ちます。その時の通訳人は、テレビニュースなどでよく目にする人でしたが、優秀なベテラン手話通訳者のようでした。
 裁判官は、通訳人に、被告人に話がちゃんと通じているかどうか、時々確認しながら手続きが進行していきましたが、やはりどうしても通じない場面があり、通訳人も当惑している様子がわかりました。
 聴覚障害者が被告人となる裁判には、さまざまな困難が伴います。時には裁判が不可能になってしまうこともあります。
裁判で被告人となった場合、最初に告げられる「黙秘権」は非常に重要な権利で、これが伝えられない場合、手続きを進めてはいけないことになっています。「黙秘権を告知する」とは、以下のことを伝えるということです。
 「言いたくないことは言わなくてもいい。それは権利として認められている。しかし、この場で発言したことはすべて証拠となり、被告人に有利にも不利にもなる」
この「黙秘権告知」は、聴覚障害者の裁判で、大きなつまずきの石になることが多いです。
 手話などの視覚媒体によるコミュニケーションは、具体的で映像が浮かびやすい事柄を伝えるのには困らないけれど、観念的、抽象的なことを伝えるのは、難しいと言われています。例えば、人差し指を口に当てる動作で「言うな」や「答えるな」は表現できるけれど、「言いたくないことは言わなくてもよい」という概念を伝えるのは大きな困難を伴います。さらに、教育レベルの高くない聴覚障害者、特に特別な教育施設に通わない人たちの多かった高齢者の世代にとって、「権利」という概念を理解することはとても難しいです。
 このように「黙秘権」が伝わらなければ、裁判を進めていくことは出来ません。また、その概念が理解できないということは、被告人の訴訟能力にも疑問が持たれるということになります。そうなると、公訴棄却になったり、公判手続きが停止されたりする事態にもなりかねません。いつまでたっても裁判が進まないため、たった600円を盗んだことで、何年も被告人のままの立場で過ごし、そのまま人生を終えた人もいます。(森本事件)
 また、いわゆる「仮定法」で表されることがらも、聴覚障害者に伝えるのは難しいと言われています。「もしあの時・・・であったら、あなたは・・・していましたか」というような表現です。聴覚障害者が被害者になった大掛かりな詐欺事件がありましたが、被害者に対する事情聴取の際に、「あの時、(詐欺師が)きちんとした服装ではなく、みすぼらしい格好をしていたら、あなたは彼の言うことを信じていましたか」というような質問を手話で理解させることは非常に困難であったと、この事件に司法通訳者として関わった人たちは述べておられました。
 また、手話での意思疎通が概ねスムーズにいくような場合でも、状況によっては手話では伝えきれない概念が出てきます。イギリスの司法通訳関係者に聞いた話ですが、イギリス手話では、「殺人」という概念が表せない、つまり、絞殺なら首を絞める動作、射殺なら撃ち殺す動作、刺殺なら刺し殺す動作、というように具体的に表すので、単に「殺人」と言われても困るということでした。
 外国人の裁判であれば、その人の母語と日本語が完璧に出来る通訳人を手配すれば、ほとんどの事が伝わります。でも、手話をいくらマスターしても、口頭言語と視覚言語との間には正確な意思疎通の不可能な部分があり、その分だけ通訳は難しくなるのです。
Makiko Mizuno
エッセイ(異文化伝心)


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