スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Makiko Mizuno
スポンサー広告


朝日新聞「私の視点」に原稿が掲載されました
 6月27日土曜日の朝刊に、朝日新聞の「私の視点」に原稿が掲載されました。
 内容は法廷通訳に関するものですが、制度論からは離れて、通訳者の訳し方そのものにもっと注意を払うべきだという主張をさせていただきました。特に裁判員制度が始まった今、通訳の訳し方によって一般人である裁判員が受ける印象が変わるという事実にもっと目を向けないと、思わぬ落とし穴が待っていることを、人はもっと知るべきだと思います。
 これまで裁判所が行ってきた通訳付き模擬法廷でも、通訳の訳し方が及ぼす影響についてまで検討する余裕がなかったようです。検討された内容は、訳し方のタイミングや座る位置、休憩の入れ方など、通訳内容そのものには関係ないことがらや、通訳人にとってどういう内容が訳しにくかったかというような点に、法律家の意識が集中していたようです。
 そこには、通訳人の口から出た言葉が本当に被告人の言ったことなのか、というごく当たり前の疑問すらなく、言語分析の研究をしている私たちから見ると、大変恐ろしい事態が進行中と言わざるをえません。
 たとえば、同じ内容の発言なのに、通訳人が大きな声で自信たっぷりに訳した場合と、小さな声で遠慮がちに訳した場合とでは、それを聞く側の印象は明らかに異なったものになります。また、「取った」と訳すのと「奪った」と訳すのでは、「奪った」のほうが、犯罪を想起させる度合いが高くなります。
 これまでとは異なり、一般人である裁判員が裁く裁判では、このような言語の影響をもっともっと検討していく必要があります。通訳人がスムーズに訳しているということが、そのまま被告人に対する正しい情報を伝えているということにはなりません。どのように訳しているかをしっかり見極めていくことが、通訳付きの裁判で正しい司法を実現するための重要な要素だと思います。
 そういう意味で、5月に立ち上げた法と言語 学会を中心に、「法言語学」という学問領域が今後発展していくことを願っていますし、そういう学問に対して法律家の関心も高まってくることを期待しています。
スポンサーサイト
Makiko Mizuno
Diary


異文化伝心(13)
カタカナの人名は悩みの種

 ずいぶん昔、私が某通訳スクールに通っていたころでしたから、もう二十数年前のことになります。当時、日本とアメリカは大きな貿易摩擦問題を抱えていました。「貿易自由化」「門戸開放」「保護主義」「規制撤廃」といった用語を通訳の学校でたくさん覚えさせられという記憶があります。そのころのアメリカの政府高官で、こうした貿易問題に深く関わっていた人の中に、「ブロックさん」と呼ばれる人が2人いました。米国通商代表部とか農務省や商務省といった省庁の代表だったと思いますが、記憶がいまいちはっきりしません。でも、この2人の名前のことで、常に混乱が生じていたことははっきり覚えています。
  「ブロックさん」といいましたが、この2人は、実はBlockさんとBrockさんで、英語で発音すると全く違う名前だったのです。LとRの発音は、日本語で言うと同じになってしまい、しかもどちらともつかない発音になってしまいます。ですから、誰かが「ブロックさん」と日本語で言うと、BlockさんのことなのかBrockさんのことなのかわからないのです。ご本人たちもこの問題を知っていたので、スピーチのたびに、このことをジョークにしていました。
 この問題は通訳者にとっても難題でした。もし全く関係ないことに携わっている人たちであれば、状況から判断できますが、どちらも貿易問題の関係者です。突然名前が出た場合、Lで発音したらいいのかRで発音したらいいのか、急には判断できないのです。
 日本語は発音の種類が非常に少ない言語なので、他の言語では明らかに異なる発音が、同じ音声になってしまうことがよくあります。世界的な水泳選手イアン・ソープなど、「何で名前が石鹸なの?」と多くの日本人に思われていたようです。この人の名前のソープはTHで始まる音声で、舌を軽く噛んで発音します。日本語にはありません。カタカナ表記が不可能なのです。
 昔、かの有名な哲学者ジャン・ポール・サルトルが来日した折のことですが、日本を離れる直前にこう尋ねたそうです。
「日本の人が『サルトル』という言葉を口にするのを何度も耳にしたけれど、『サルトル』って一体なんのことだい?」
 彼の名前はSartreと書きます。発音は、「サートゥホ!」のような表記不可能の音声です。フランス語のRの音声はカタカナでは絶対に書けません。ハヒフヘホを喉の奥のほうで震わせるように発音します。「サルトル」とは似ても似つかぬ音なのです。さすがのサルトルも、それが自分の名前であるとは推測不可能だったということです。
 3年前の夏、四国のある大学で集中講義をしましたが、学生の3分の1が中国からの留学生でした。その中に、「高さん」という人と「黄さん」という人と「顧さん」というがいました。私が「顧さん」と呼ぶと、なぜか「高さん」が手を上げます。「高さん」のつもりで呼ぶと「黄さん」が手を上げます。悲しいことに、私は、どの名前も「コゥさん」としか発音できないのです。名簿の読み仮名も同じになっていました。最初の日の出欠確認の際にこういう具合になってしまったので、次の時に、私が「コゥさん」と言うと、3人がお互いに顔を見合わせて、一体誰のことだろうと悩んでいます。しかたがないので、皆、ファーストネームで呼ぶことにしました。
 日本語で書かれたり読まれたりする外国人の名前は、通訳者にとって、本当に悩みの種です。ジョンとかマイケルのようなポピュラーな名前は別として、聞いたことのない名前はスペリングがなければ、完全にお手上げです。日本語の音からオリジナルの正しい音を探し出すのは至難の業だと言えましょう。
 
Makiko Mizuno
エッセイ(異文化伝心)


| HOME |
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。