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Makiko Mizuno
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外国人事件の裁判員裁判
 9月8日に外国人を被告人とする裁判員裁判が埼玉で行われることになりました。フィリピン人の事件だということですが、全国初ということで、各方面から大きな注目を浴びています。

 これまで、要通訳事件で、通訳人の介在が裁判員の判断にどのような影響を及ぼすかという実験をやってきましたが、ちょうど9月5日6日に行われる日本通訳翻訳学会の年次大会で、コミュニティー通訳分科会のプロジェクトとして、この問題を取り上げた新たな実験を行うことになっています。あまりにもグッド・タイミングで、ちょっと驚いていますが、マスコミの取材もいくつか入ることになりました。

 今回の実験では、弁護人質問の場面でいくつかのシーンを取り上げ、それぞれに複数の異なる通訳バージョンを用意し、それを録画したDVDを見せて、その印象についてアンケート調査をするというものです。

 この実験に先がけて、過去2年間にわたり、模擬法廷を行ってさまざまなデータを取ってきましたが、このような研究が最近注目され始め、私が企画したプロジェクトも、文部科学省の研究助成金(科研費)の対象になりました。また、一緒に「法言語学」という学問分野の発展に向けてがんばっている研究者たちのプロジェクトも、科研をはじめ各種助成金の対象となっています。

 裁判員制度導入が、「法廷コミュニケーション」という1つの学問領域の発展のきっかけとなりました。今後、多くの優れた研究成果が生みだされていくことが期待されます。私も、法廷通訳の問題を軸に、この研究の発展に貢献できるよう、がんばりたいと思っています。

 
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Makiko Mizuno
「司法通訳」新情報


法廷通訳研修会が大阪で開催されました。
 8月23日に、日弁連法務研究財団の法廷通訳研究会による法廷通訳研修会が大阪で開催されました。私も研究員になっているので、パネルに参加しました。
今後、東京、名古屋、福岡、広島、仙台、札幌と、模擬法廷も含んだ研修が行われる予定です。
(詳細はこちら

 裁判員制度が導入されて数ヶ月、9月には始めての要通訳裁判員裁判が埼玉で予定されています。裁判員制度自体がまだまだ充分に検証されていない中で、外国人事件が始まるわけですが、コミュニケーションの問題はきちんとクリアーされていくのでしょうか。

 いくら通訳人の体制が整ったからといって、通訳プロダクトそのものの正確性やその影響についての検証がされないままでは、公正な司法が実現されるかどうか、心もとない限りです。

 今後の法廷通訳研修でも、そのような問題について、関係者にもっと認識してもらえるような働きかけが行われることを願っています。
Makiko Mizuno
「司法通訳」新情報


突然、戦国時代にタイムスリップ?
突然、戦国時代にタイムスリップ?

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お盆休みに関ヶ原古戦場に行って来ました。岐阜県人でありながら、一度は訪れてみたいと思いながらも、これまで全くその機会に恵まれなかったのですが、前日に急に思いつき、思い立ったら吉日とばかりに、暑い中を出かけて行きました。

 着いた駅は小さな田舎駅といった風情でしたが、思ったよりきれいで整備されていて、最近の戦国武将ブームに乗った観光客がたくさん訪れているのがわかりました。早速、駅前でタクシーをつかまえ、合戦のポイントとなる場所を一通り見て回りました。徳川家康が最初に陣を置いた桃配山から始まり、石田三成の陣のあった笹尾山とその麓の決戦地、宇喜多秀家、小西行長、島津義弘の陣跡と開戦地、首実検が行われた家康の最後の陣跡、首が葬られた首塚、大谷吉継の墓などを回りました。開戦地や決戦地は、田んぼや畑はあるけれど、当時とほとんど変わらない野原の雰囲気で、時の流れを感じさせない不思議な空気が漂っていました。石田三成のいた笹尾山に登って戦場だった所を見下ろしていると、法螺貝の音は聞こえないまでも、兵隊たちの上げる声が風に乗って聞こえてきました。幻聴だったのでしょうか。

松尾山
決戦地から見た松尾山
西軍を裏切って東軍に寝返った小早川秀秋の陣のあったところ

 戦場を回ったあとは、日本B級珍百景の1つと言われる「関ヶ原ウォーランド」に行きました。関ヶ原の合戦の模様をコンクリート製の等身大のフィギュアで再現してあるテーマパークです。40年前からあるようで、つぶれなかったのが不思議であると言われている、何ともシュールな空間でした。極めつけは、武田信玄のフィギュアでした。当時すでに死んでいる信玄公が出てきて「我こそは武田信玄の亡霊じゃ!もう争いはやめい!ノーモア関ヶ原合戦じゃ!」と言っているのです。(信玄公が英語を使っているのにびっくり!)
でも、フィギュアたちがとてもリアルなので、合戦の場面の真ん中に立っていると、まるでタイムスリップした先が戦国時代の合戦の最中だったというような気持ちになります。

takeda shingen
武田信玄の亡霊

 関ヶ原では戦没者の慰霊碑がいくつかあり、色々なところで「ノーモア・関ヶ原合戦」というスローガンを見ました。「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・9.11」のような、まだ人々の記憶に新しい出来事とは異なって、西暦1600年の戦いに「ノーモア」をつけるのには、ちょっと違和感を持ちました。それに、将来、関ヶ原の合戦のような内乱が再び起こる可能性はほぼ皆無です。でも、世界に目を向けると、色々な国でいまだに悲惨な内乱によって多くの人が死傷しています。そういう意味では、非常にグローバルなスローガンであると捉えることが出来るかもしれません。

 関ヶ原の合戦ほど知られていませんが、西暦672年の壬申の乱も、同じ場所で起こりました。近江の大友皇子の軍隊と、古代豪族である尾張氏などを味方につけて東国から進軍した大海の皇子の軍隊がぶつかる所といったら、やはり関ヶ原ということになるのでしょう。今でも、自害した大友皇子の首が埋葬されていると言われる自害峯と呼ばれるところがあるし、死体から出る血によって色が変わったことから黒血川と呼ばれるようになった川も流れています。また、乱の後、勝者の天武天皇が設けた不破の関の跡もあります。古代史マニアの私としては、こちらのほうにも非常に興味があるのです。

 関ヶ原は本当に昔のままです。昔を知らないので、そんなことを言うのは変ですが、いまだに近代的なものがほとんど建っていないのです。田園風景の中、あちこちでヤギたちが草を食べていました。そんなのどかなところです。400年前、数時間で数万人の兵士が死んだ、さらに1300年以上前にもおびただしい戦死者を出した、まさにその場所に立っていると、のどかさと静けさが身に沁みる思いがします。
Makiko Mizuno
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はじめて遭遇したホテル火災
はじめて遭遇したホテル火災

 コーパス言語学会で研究発表するために、7月20日から25日にかけてイギリスに滞在しました。学会はリバプール大学で開催されたので、リバプールの有名な某老舗ホテルに宿泊しました。学会の夕食会がそのホテルのホールで行われましたが、リバプールらしく、「偽ビートルズ」のステージで大いに盛り上がりました。

 さて、深夜3時ごろのことです。突然大音響で火災報知機が鳴り響き、びっくりして飛び起きましたが、それはすぐに止みました。でも止んだと思ったら、また鳴り始め、そしてまた鳴り止むということを繰り返していました。心配になってフロントに電話したら、「誤作動です。大丈夫です。」と言われ、一応安心して寝ました。ところが、午前5時ごろ、またしても報知機の大音響です。今回は全く鳴りやみません。しばらく様子をみていましたが、やっぱり心配で、またフロント電話しようとしました。ところが、今度は電話自体がつながらないのです。ウンともスンとも言わず、明らかに電話線が切れています。これはやばいと、一瞬ぞっとしました。

 大変だ、どうしようと思っていると、窓の外を人が何人も階段を下りていくシルエットが目に入りました。その時、私の部屋の窓の外が非常階段だと気付き、パスポートと財布の入ったバッグだけを持って部屋の外に出ました。すると、廊下には非難する宿泊客がたくさん集まっていて、非常口目指して移動しています。煙の臭いの立ち込める中、私もそれに加わり、階段を下へ下へと降りて行きました。

イギリス fire engine 2


 玄関ロビーに着くと、そこには消防車が来ており、消防士が数人、ホースを持ってホテルに入ってきています。ホテル従業員が、お客を全部外に出そうと大声で呼びかけています。ところが運悪く外は雨です、傘もない人がほとんどでしたが、みんな、仕方がないので外に出て、大きな木の下に集まっていました。

 聞くところによると、地下のスポーツジムがあるところが燃えているようです。しばらく消火活動が続きましたが、鎮火したらしく、宿泊客はみなロビーに呼び戻されました。1時間ほど待って、ようやく部屋に帰ってよいということになりましたが、燃えたのが地下だったのが幸い、客室の荷物なども、みな無事でした。

 幸い大事には至らなかったわけですが、結局その夜はほとんど眠ることができず、次の日、眠い目をこすりながらのチェックアウトということになりました。ホテル側から何らかのお詫びの言葉などあるかと思ったのですが、まるで何事もなかったかのように、淡々とチェックアウト作業が行われたのには少々びっくりしました。ここが日本とは違うところです。さすがイギリスの老舗ホテルです。(あるいは、これまで何度も同じような火事を出していて、みな慣れっこになっているのでしょうか。)

 帰国後、しばらくしてこのホテルからメールが来ていましたので、火事のことについて、何かコメントでもあるかと思ったら、「当ホテルについて、何かお気づきのことや改善点などありましたらお知らせください」という趣旨の単なるアンケートで、さらにびっくりしました。「お気づきのこと」も何も、火事があって大変だった、くらいしか言うことはありません。

 何か起こっても「何も起こらなかった」とポーカー・フェイスでやり過ごすことが出来るのも、伝統の力なのかもしれないと、妙に納得させられる出来事でした。
Makiko Mizuno
Diary


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