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Makiko Mizuno
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シンポジウムのお知らせ
 第1審の通訳が問題になって控訴されている「べニース事件」については、当ブログその他で色々な形で取り上げられています。いよいよ6月2日に公判が開かれますが、鑑定書という形で表明された言語学者の意見を法律家がどの程度受け入れるのか見ものです。

 今回、法と言語学会・法と言語科学研究所共催でシンポジウムを行うことになりました。「司法過程における言語鑑定の在り方」がテーマです。法廷通訳の問題だけでなく、様々な分野で法言語学者の知見が有効に利用されうることについて、各分野の専門家が議論します。



日本学術振興会科学研究費補助金・新学術領域研究
「裁判員裁判における言語使用と判断への影響の学融的研究」公開シンポジウム

          法言語学の将来像

-司法過程における言語鑑定のあり方-


日時: 2010年6月13日 12:30~17:00
場所: 明治大学駿河台キャンパス・リバティタワー16階1166

第一部 「言語学鑑定の利用に向けた課題と展望」
英米では様々な司法過程で言語学者の知見が鑑定として利用されることは珍しくない。しかし、我が国では言語学鑑定が利用はごく限られた形でしか行われてきていない。このパネル・ディスカッションでは、言語学鑑定の利用に向けた制度的・運用的課題と今後の展望について、刑事訴訟法の研究者および社会科学の中でも最も頻繁に鑑定に利用されている法心理学の研究者を交えて討論する。

パネリスト 指宿信(成城大学法学部教授・法と心理学会副理事長)
藤田政博(関西大学社会学部准教授・法と心理学会理事)
大河原眞美(高崎経済大学大学院地域政策研究科長・教授・法と言語学会会長)
司会 堀田秀吾(明治大学法学部教授・法と言語科学研究所所長)

第二部 「法廷通訳の正確性と鑑定について」
2002年の「ニック・ベイカー事件」と2009年の「ベニース事件」は、従来型裁判と裁判員裁判という違いはあるが、控訴において第一審での 司法通訳の正確性が争点となり、通訳の正確性に関する鑑定書が提出された事件である。担当弁護士がそれぞれの事件の詳細について紹介すると同時に、両裁判 の鑑定人が通訳の正確性の鑑定とはどのようなものか、そのポイントについて解説する。そして、通訳に関する鑑定のあり方について、全体で議論する。

パネリスト 宮家俊治弁護士(第二東京弁護士会)
渡辺修弁護士(大阪弁護士会・甲南大学法科大学院院長・教授)
水野真木子(金城学院大学文学部教授・法と言語学会副会長)
司会 中村幸子(愛知学院大学文学部准教授・法と言語学会理事)

共催: 法と言語学会・法と言語科学研究所
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Makiko Mizuno
「司法通訳」新情報


異文化伝心(19) 西暦と元号 換算できますか?
 こんな話を聞いたことがあります。ある学校で保護者のグループが、その活動に関するチラシを配布したいと思って校長に許可をもらいに行ったら断られました。その理由は年号が西暦で書いてあったから、ということでした。学校では元号で書かれたものしか配ってはいけないと言われたそうです。私は、「へえ、そんなことがあるのか・・・。」とびっくりするとともに、「なぜ、そこまでこだわるのだろう」と不思議に思いました。

 日本では、公的な場では、今だに元号で年号を表示するのが正式な形とされているようです。役所の公式文書もそうですし、裁判での起訴状などの文書もそうです。今、私の机の周りにある色々な文書をざっと見てみましたが、多くの公的文書が元号表記でした。でも、現在の本務校はキリスト主義の大学であり、大学関係の文書は西暦表記になっています。また、新聞社関係のもので、西暦と元号が併記されているものも見つけました。

 さて、この元号表記は、通訳者にとって大変厄介なものです。元号は日本人にしかわからないものなので、訳すときに「ヘイセイ トウェンティトゥー」などと言っても意味がありません。世界基準である西暦に直して訳す必要があるのです。

 私が通訳の勉強をしていたころは、まだ昭和でした。昭和については簡単です。25を足して1900を付ければいいです。昭和50年なら、50に25を足して75にし、1900を付ければ、1975年となります。ところが平成になってくると、そう簡単にはいきません。

 平成元年は1989年です。昭和のときのようなやり方で換算すると、88を足して1900を付けるということになります。もちろん、これでうまくいきますが、88を足すこと自体、けっこう厄介です。では、私はどうしたかというと、初めのうちは、平成の数字から2を引いて1990を足すというやり方を取っていました。例えば、平成5年であれば、5引く2プラス1990で、1993年という計算です。ところが、西暦が2000年を超えてくると、平成の数字から12を引いて2000を足すほうが簡単になります。そうなると、平成12年、つまり2000年を基点として計算するのが楽だとわかってきます。平成の数字から12を引いて、2000を足す、ということです。平成12年を境に、プラスとマイナスに分かれますが、このやり方が、今の私には一番楽に思えます。平成8年であれば、8引く12で、マイナス4、つまり、2000から4引いた1996年ということになるのです。

 このように、年号の換算は、慣れてくると簡単ですが、最初はかなり戸惑います。また、歴史をさかのぼった話になると、手に負えなくなることもあります。明治、大正くらいは何とか換算する方法を考えますが、明暦○年とか、天保○年などということになると、とても西暦に直せません。およそ何世紀、くらいにごまかさざるを得ないこともあります。

 年号以外にも、即座に換算して訳さなければならないものがあります。例えば、度量衡の単位です。英語で「10マイル」と言われれば「16キロ」、「3フィート」と言われれば「1メートル」というように、聞いている人がおよその感じがつかめるように換算するのが親切な通訳だとされています。ただし、正確なデータを発表しているような場面では、下手に換算すると誤差が生じるので、あえて換算するのを避けることも当然あります。

 ところで、よく映画などで距離について何かしゃべっている時に、「およそ16キロくらいよ。」というような字幕のせりふが流れますが、非常に違和感を覚えます。およその数字を言うのであれば、「16キロ」はおかしいのです。「10キロ」とか「15キロ」ならおよその数であると言えますが、「16」と言ってしまうと、「およそ」どころか「正確に」のニュアンスになってしまいます。英語ではもちろん、「About 10 miles」(10マイルほど)というように、「およそ」の意味で言っているのに、日本語に正確に訳すとニュアンスが失われます。

 同様に、英語でよく「half a dozen」(半ダース)と言いますが、1ダース(12個)を単位としているので、その半分くらい、つまり、日本語のニュアンスで言えば「5,6個」というようなニュアンスの表現です。これを正直に「6個」と訳している小説や字幕などがありますが、これも「6」という数字を出してしまうと、日本語では「正確に」のニュアンスになってしまいます。

 このような例は、本当に正確にその数字を言おうとしているのか、それぞれの文化的習慣に即しておよそのつもりで言おうとしているのか、しっかり見極めることが大切です。通訳者や翻訳者は、そのシチュエーションが自然に伝わるように訳さなければならないので、的確な状況判断が常に必要とされます。そして、ある程度の算数の能力が求められているのは言うまでもありません。

Makiko Mizuno
エッセイ(異文化伝心)


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