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Makiko Mizuno
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インサイダーとしての通訳者、アウトサイダーとしての通訳者
インサイダーとしての通訳者、アウトサイダーとしての通訳者 

 10年以上前、実際に起こったことです。
 内戦の真只中にある某国を、日本の某使節団が訪問したことがありました。これには国会議員も何人か含まれていました。現地で彼らに対する記者会見が開かれ、その内容は、日本の大使館付の通訳によって訳されました。そしてそれが現地の新聞に載り、さらにはその内容が、日本に逆輸入され、日本語に訳されて報道されたのです。
 ところが、日本のメディアで内容が報道されるやいなや、騒動が起こりました。使節団のメンバーたちが、普段日本で言っていることと全く異なる話をしたと報道され、彼らは二枚舌であると非難されたのです。ところが、メンバーたちは「私たちはこんなことを言った覚えはない」と、激怒しました。実際に現地で自分たちが話した内容とニュアンスが違う、あるいは、まったく反対の趣旨の内容が報道されている、と彼らは主張しました。
 一体何が起こったのでしょう。実は、現地の大使館の通訳者が、使節団の発言を、その国にとって都合のいい論調に変えて訳していたのです。大使館の通訳者ですから、自分自身、外交官という立場があるわけです。それで、角が立たないように、うまく処理した結果、オリジナルとは異なる通訳バージョンが出来てしまったということでした。
 これは、あくまで外交官という立場を持った通訳の話です。

 それでは、純然たる通訳者、つまり、訳すことのみが仕事であり、他の立場を持たない通訳者の場合はどうでしょうか。言われたことをそのまま正確に訳すのが通訳者の務めですが、時には大きなジレンマにぶち当たることがあります。
 ドイツ文学の専門家であり日独会議通訳者でもある相澤啓一氏はこう書いておられます。「通訳者は信じられないような光景に遭遇する。・・・中略・・・ヒトラー・ユーゲント(ブログ管理人注釈「ヒトラー青年隊」解説)に接して感激した昔話を得意げに話し続ける財界重鎮のスピーチを訳す羽目になってドイツ側の前で絶句させられる。こうした場合に通訳者は、通訳としての分際をもわきまえずに日本側をたしなめてクライアントの叱責を買うべきなのか、それとも契約どおり日本側の意を体し黒子に徹してドイツ側の顰蹙を買うべきなのであろうか。」(「異文化間コミュニケーションにおける通訳者」(相澤啓一)『言語』1997年8月号「通訳の科学」)
 外交官であれば、当然このような内容は訳さないでしょう。ヒトラー時代のドイツを現代のドイツ人がどう受け止めているのか、ということを考えると、そのような発言は、日本側とドイツ側の関係にネガティブな影響を及ぼすことがわかるからです。でも、一般の専門職としての通訳者は、言われたことをそのまま訳すことが仕事なのです。

 江戸時代の通訳者、つまり「長崎通詞」は政府の役人でした。ですから、日本にとって一番利益になることは何なのか、一番穏便に事が運ぶにはどうすればいいのか、という観点から通訳の仕事を行っていたはずです。外交官に似た「立場」というものがあったのです。
 ところが、近代になり、訳すためだけの「通訳者」という職種、特にフリーランサー(自由契約)の通訳者という立場が確立してからは、通訳者には、関係者あるいはインサイダーとしての「立場」が失われました。つまり、「透明人間」あるいは「黒子」のようになる、つまり、どちらの立場でもなく完全に中立であり、ことばの橋渡しをすることのみを期待されるようになりました。言い換えれば立場的にアウトサイダーである通訳者の数が非常に多くなったのです。
 この、「通訳の立場性」の問題は、上記の例にもはっきり表れているように、トラブルを避けて双方の円滑なコミュニケーションを優先するか、あるいは通訳者のあるべき姿に固執して「黒子」に徹するべきか、という大きなジレンマのもとになっているのです。
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Makiko Mizuno
エッセイ(通訳のジレンマ)


 
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