スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Makiko Mizuno
スポンサー広告


突然、戦国時代にタイムスリップ?
突然、戦国時代にタイムスリップ?

reiri2.jpg

お盆休みに関ヶ原古戦場に行って来ました。岐阜県人でありながら、一度は訪れてみたいと思いながらも、これまで全くその機会に恵まれなかったのですが、前日に急に思いつき、思い立ったら吉日とばかりに、暑い中を出かけて行きました。

 着いた駅は小さな田舎駅といった風情でしたが、思ったよりきれいで整備されていて、最近の戦国武将ブームに乗った観光客がたくさん訪れているのがわかりました。早速、駅前でタクシーをつかまえ、合戦のポイントとなる場所を一通り見て回りました。徳川家康が最初に陣を置いた桃配山から始まり、石田三成の陣のあった笹尾山とその麓の決戦地、宇喜多秀家、小西行長、島津義弘の陣跡と開戦地、首実検が行われた家康の最後の陣跡、首が葬られた首塚、大谷吉継の墓などを回りました。開戦地や決戦地は、田んぼや畑はあるけれど、当時とほとんど変わらない野原の雰囲気で、時の流れを感じさせない不思議な空気が漂っていました。石田三成のいた笹尾山に登って戦場だった所を見下ろしていると、法螺貝の音は聞こえないまでも、兵隊たちの上げる声が風に乗って聞こえてきました。幻聴だったのでしょうか。

松尾山
決戦地から見た松尾山
西軍を裏切って東軍に寝返った小早川秀秋の陣のあったところ

 戦場を回ったあとは、日本B級珍百景の1つと言われる「関ヶ原ウォーランド」に行きました。関ヶ原の合戦の模様をコンクリート製の等身大のフィギュアで再現してあるテーマパークです。40年前からあるようで、つぶれなかったのが不思議であると言われている、何ともシュールな空間でした。極めつけは、武田信玄のフィギュアでした。当時すでに死んでいる信玄公が出てきて「我こそは武田信玄の亡霊じゃ!もう争いはやめい!ノーモア関ヶ原合戦じゃ!」と言っているのです。(信玄公が英語を使っているのにびっくり!)
でも、フィギュアたちがとてもリアルなので、合戦の場面の真ん中に立っていると、まるでタイムスリップした先が戦国時代の合戦の最中だったというような気持ちになります。

takeda shingen
武田信玄の亡霊

 関ヶ原では戦没者の慰霊碑がいくつかあり、色々なところで「ノーモア・関ヶ原合戦」というスローガンを見ました。「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・9.11」のような、まだ人々の記憶に新しい出来事とは異なって、西暦1600年の戦いに「ノーモア」をつけるのには、ちょっと違和感を持ちました。それに、将来、関ヶ原の合戦のような内乱が再び起こる可能性はほぼ皆無です。でも、世界に目を向けると、色々な国でいまだに悲惨な内乱によって多くの人が死傷しています。そういう意味では、非常にグローバルなスローガンであると捉えることが出来るかもしれません。

 関ヶ原の合戦ほど知られていませんが、西暦672年の壬申の乱も、同じ場所で起こりました。近江の大友皇子の軍隊と、古代豪族である尾張氏などを味方につけて東国から進軍した大海の皇子の軍隊がぶつかる所といったら、やはり関ヶ原ということになるのでしょう。今でも、自害した大友皇子の首が埋葬されていると言われる自害峯と呼ばれるところがあるし、死体から出る血によって色が変わったことから黒血川と呼ばれるようになった川も流れています。また、乱の後、勝者の天武天皇が設けた不破の関の跡もあります。古代史マニアの私としては、こちらのほうにも非常に興味があるのです。

 関ヶ原は本当に昔のままです。昔を知らないので、そんなことを言うのは変ですが、いまだに近代的なものがほとんど建っていないのです。田園風景の中、あちこちでヤギたちが草を食べていました。そんなのどかなところです。400年前、数時間で数万人の兵士が死んだ、さらに1300年以上前にもおびただしい戦死者を出した、まさにその場所に立っていると、のどかさと静けさが身に沁みる思いがします。
スポンサーサイト
Makiko Mizuno
Diary


 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。