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Makiko Mizuno
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異文化伝心 (14) 「水」は「水」・・・とは限らない
「水」は「水」・・・とは限らない

 アメリカのあるベテラン通訳者の話ですが、通訳ミスが本当に人の命を奪ったケースがあったそうです。昔の話ですが、第2次世界大戦中、ドイツ軍の偵察隊が砂漠地帯に偵察に出かける前に、現地人を呼んで、オアシスなど、水の補給の出来る地点に関する情報を得ようとしました。その時、現地語とドイツ語の出来る通訳がつきました。

 呼ばれてきた地理に詳しい現地人が、地図を見て指差しながら、現地語で「ここに水、次はここに水、水、水、 ・・・」と教えていきます。ところが、1回「塩水」という言葉がはさまれました。でも、通訳は、全て「水」と訳したのです。その結果、出かけていった偵察隊は一人として部隊に戻ってきませんでした。

 つまり、通訳が訳したことを信じて、途中での水の補給がぎりぎりに可能なルートを決めて、それに従って動いていたドイツ兵たちは、ある地点で、水にたどり着いたと思ったとたん、それが塩水で、飲めないものだと気づいたのです。でも、次の水の得られる場所はあまりに遠く、彼らは水分が補給できずに、全員死んでしまったのです。

 彼らが戻ってこないのを不審に思ってドイツ軍が調査を行った結果、通訳のミスが明らかになったそうです。通訳はおそらく、何のための水の調査か考えずに訳していたのでしょう。隊員の命に関わる「飲める水」の調査であるという認識がなく、塩水であっても「水」は「水」と思って、いい加減に訳していたに違いありません。

 ここにもう1つ問題があります。現地人はなにも「塩水」の場所など言う必要がなかったのではないか。それを言ったために混乱が生じたのではないか。なぜ、現地人はわざわざ「塩水」の場所を、さも大切そうに教えたのかということです。これには文化的な背景事情があります。砂漠では、人々は普通、キャラバン隊を組んで旅をします。その場合、人や荷物を運ぶラクダが一緒にいます。そのラクダたちの塩分の補給に、塩水の出る泉が重宝されているのです。ですから、人間のための水とラクダのための塩水の両方を、現地の人は意識するわけです。そして、塩水の得られる場所も、真水の場所と同様、貴重な情報なのです。

 この事件は、様々な要素が絡み合って悲劇を招いたケースですが、通訳が「塩」という言葉を省くという「ちょっとした」ミスをしたために、人が何人も死んだということを考えると、通訳の責任の重大さがわかります。この場合のように、何のためのコミュニケーションに立ち会っているのかということを正確に把握しないまま通訳すると、こんな結末をも招きかねません。
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Makiko Mizuno
エッセイ(異文化伝心)


 
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