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Makiko Mizuno
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「ベニース事件」控訴・・・通訳をめぐる鑑定書について
 3月19日に関西一円で朝日新聞が報道し、さらにそれを受けて一部のTV局も取り上げた「ベニース事件」(覚せい剤密輸の否認事件であり、初の英語通訳がついた裁判員裁判)の控訴のニュースとの関連で、第一審の法廷通訳に関する鑑定書についても紹介されました。第1審の法廷通訳の質が低く、裁判員を誤った方向に導いたということが控訴の主要なポイントで、私は専門家としてその鑑定を行いましたが、それについての報道の仕方、および人々の受け止め方について以下のように感じています。

 今回、法廷通訳の質の問題をマスコミが大きく取り上げてくれたことは、大変すばらしいことです。数年前に「ニック・ベイカー事件」という麻薬事件があり、その時も第1審の通訳について問題があり、私が鑑定書を作成しました。「ニック・ベイカー事件」では、本人がロンドン訛りを話していたこともあり、今回の通訳よりもはるかに誤りが多く、通訳に関する限り、とても正当な裁判とは言えないものでしたが、その時にはマスコミは、海外のものを除き、あまり関心を示しませんでした。今回は裁判員裁判ということで人々の関心も高くなっており、通訳問題に光を当てるまたとないチャンスだと思います。ただ、報道機関は通訳の問題には不慣れということもあり、いくつか気になる事がありました。

 まず、新聞報道では「誤訳6割」となっていました。私が鑑定書で述べたのは、2文以上になるような長い発言の回数に対して「通訳エラー6割」でした。通訳エラーとは訳し落しによる情報漏れやニュアンスの違いもすべて含めたもので、「誤訳」はその一部です。今回の第1審のDVDをチェックしたところ、通訳エラーの多くが「訳し落し」でした。これはもちろん、誤訳と同様に、あるいはそれ以上に重大なエラーです。しかし、それは「誤訳」とは異なる部類に入ります。このような定義について、一般の人は知識がないのでしかたがないかもしれませんが、やはり正確に伝えようと思えば「通訳エラー6割」とすべきだったでしょう。
 
 次に、報道で強調されていたのは、被告人が取調べの時に、知らずに覚せい剤を持ちこんでしまったことについて、取調官に自分の言い分を聞いてもらえなく、しかも家族にも会えないと言われ、”I felt very bad.”と言った部分の通訳についてでした。第1審の通訳人は「非常に深く反省しています」と訳しました。法廷で話の流れを聞いていた人たちは、みな、なぜ急に謝罪の言葉になったのか、不思議に思ったと言っています。ここは、「自分がもう助からないと思い、心がくじけてしまった」というような意味の発言でした。決して謝罪ではありません。私の鑑定書では問題点としてその点を解説しています。

 さて、これについて報道された内容はこうでした。第1審の通訳人は、「とても悪い気分になりました」と訳さずに「非常に深く反省しています」と訳したことが問題だった。確かにそうです。でも、これについて私としては少し説明を加えなければなりません。

 鑑定書では第1審の通訳が誤っていたところを示しただけであって、「どう訳すべきか」を提示したわけではありません。そもそも通訳と言う作業には、数学とは違い、「これが正解だ」という答えはないのです。通訳者が10人いれば、10通りの訳が生まれます。しかも、”bad”という言葉は、”good”と同様、非常に幅広いニュアンスを持っています。ですので、”I felt very bad.”という表現も、その意味は前後の文脈から判断するしかありません。どういう意味で被告人がその言葉を言ったのかは上記のとおりですが、それをどう訳すかということになると様々な訳文が可能になります。

 鑑定書では、被告人の発言の音声を起こしたものと通訳の日本語との対照を示しましたが、私としては、便宜上訳文を付けただけであって、どういう表現で訳すべきかを主張するものではありませんでした。そういう意味で、”I felt very bad.”も「とても悪い気分になりました」と、直訳的に訳しておきました。だいたい、「とても悪い気分になりました」という日本語は、それ自体良い訳文とは言えないし、「それはおかしい」と、いくらでも突っ込まれます。私は一応研究者のはしくれですから、そのようなリスクは犯すつもりはありませんでした。ところが報道では、私がそれをやってしまったような形になっていて、ちょっと当惑しています。

 では、”I felt very bad.”のような表現が出てきた場合、通訳人はどうしたらいいでしょうか。これは鑑定書の内容とは関係ないですが、上記の問題に対する私自身の考え方を紹介します。このように非常に意味の幅の広い表現が出てきた場合、会議通訳者なら、多少迷っても即座の判断で訳出します。ところが法廷通訳は、慎重の上に慎重を重ね、正確性を担保しなければなりません。鑑定をしながら、もし自分が法廷で通訳をしているとしたら、ここはどう訳すだろうかと考えました。その結論は、「直訳する」です。そして、「自分の判断で訳出表現を決めることができませんので、直訳します。」と裁判官に言うと思います。そうすれば、さらに別の質問がなされたりして、通訳人にも被告人の真意が伝わるチャンスが生まれ、正確な訳出ができるかもしれません。法廷通訳人は曖昧な理解のまま、安易に自分の判断で訳してしまってはいけないのです。それによって審理の方向性が決まってしまうこともあるし、正しい理解に基づく通訳をするチャンスが永遠に失われてしまうことにもなるのです。

 もう一つ感じたことは、やはりマスコミはセンセーショナルで一般の人にとってわかりやすい報道を好むので、誤訳の部分に関心が集中していたことです。これは仕方のないことだと思います。しかし、今回の鑑定の趣旨は、通訳人の通訳能力が十分であったかどうかで、どんな誤訳があったかは、その一部にすぎません。そして、私の鑑定書では、通訳をめぐる他の重要な問題にも触れています。第1審には2人の通訳人がいましたが、1人による度重なる訳し落しをもう1人の通訳人が再三補っていたという事実です。これは明らかに両者のレベルの差を示すものです。また、1人の通訳人の話し方には極端に言い淀みの傾向が見られ、それは通常の通訳の言い淀みの5倍以上の頻度で起こっていました。「言い淀み」は、発言の信頼性を損なうものです。「気持ちに動揺が見られる、何か言い逃れを考えているに違いない」という印象を聞いている人たちに与えてしまいます。この点は非常に重要です。裁判の流れ全体に影響を及ぼすという点で、これは個々の誤訳以上に重大な「通訳エラー」なのです。

 さらに言えば、個々の誤訳は通訳人の能力を判定する材料にはなりにくいです。神様ではないのですから誰でも誤訳はします。「ニック・ベイカー事件」の時も、私は、ロンドン訛りを話す被告人の発言をうまく訳せなかった通訳人を責める気はありませんでした。ただ、自分の手に負えないことを裁判所に申し出て、然るべき措置を取ってもらうようにしなかった点については、通訳人は責任を負うべきだと思いました。今回についても、”I felt very bad.”などを誤訳しても、それによって通訳人の能力を否定することはできません。問題は、上記のように全体を通して繰り返される通訳エラーです。これは明らかに通訳人の能力の欠如を示しています。裁判を傍聴していた新聞記者さんは、聞いていて「おかしいけれど、通訳とはこんなものなのか」と思ったそうです。被告人本人から通訳が変だったと言われ、第1審のDVDを取り寄せてチェックしてみた控訴審の弁護人は、あまりのことにびっくりしたそうです。それで鑑定を依頼するということになったのです。そんな状態が放置されていた裁判は、やはり問題があると言わざるを得ません。

 最後ですが、通訳に関する鑑定の難しさについて述べます。通訳の問題は、明らかな言葉の取り違えのようなエラーの問題を除くと、解釈論に終始し、堂々巡りの議論になってしまうことが多いです。すでに述べましたように、通訳者によって解釈が異なるし、表現のニュアンスも異なります。どんな訳出をしても、必ず誰かが異議を出すことになります。また、コーパス分析をしたりしても、その言葉を使用する際の一般的傾向が出るだけで、本人の真意について100%わかるわけではありません。特に、ネイティブ・スピーカーでないような場合、その人の特異性の問題が強く出てきます。したがって、訳出が正確か不正確かについての鑑定は非常に難しいのです。

 今回は、鑑定の一環として、弁護人接見に同行し、被告人に直接会って、発言の真意について確認しました。その場合、こちらの誘導になっては公平性が損なわれるので、その点には非常に注意を払いました。決して「あなたがあの時本当に言いたかったことは…ですね。」というような誘導はせず、「あなたはこの時こう言いましたね。これを他の表現で言うとどうなりますか」とか「こういう質問に対して、公判ではどう言いましたか」というように質問しました。遠まわしな質問のおかげで時間がかなりかかりましたが、重要な点については確認が取れました。”I felt very bad.”についても、そのように確認した結果、「自分がもう助からないと思い、心がくじけてしまった」という被告人自身の言葉が得られました。第1審では「大変申し訳ない」というように訳されていたことを伝えると、被告人は大変驚いていました。

 鑑定とは「私はこう解釈する」ということを述べるものではありません。したがって、私が行った鑑定も、私自身の解釈を出来るだけ排除し、客観的データに基づいたものになるよう努力しました。今後も、法廷通訳に関する鑑定が必要なケースも増えてくるでしょう。これまでなかった分野なので、きちんとした手法を確立していき、「法言語学」の一分野としての法廷言語分析研究が正しい裁判の実現に寄与するようになればいいと願っています。

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