スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Makiko Mizuno
スポンサー広告


法廷通訳の正確性をめぐる議論について
 「ベニース事件」の法廷通訳の正確性をめぐる鑑定結果が新聞等で公表されたことをきっかけに、様々な議論が行われています。その内の多くが、かなり見当はずれであることが大変気になります。

 まず、「通訳というものが、そんなに誤訳やエラーが多いのであれば、これは一大事だ」という危機感あふれる議論ですが、これは、通訳なんて誰がやっても同じであるという前提に立つものです。現実問題として、通訳人すべてが誤訳が多いわけではありません。大変優秀で、法廷でもほとんどミスをしない通訳人も多くおられます。

 次に、「通訳人も、本当に大変な仕事をがんばってやっているのだから、責めては可哀そうだ」という議論です。時には法律家が「通訳のみなさんは一生懸命やってくださっていて、とてもありがたいと思います」というようなコメントをされます。全力を尽くして頑張っているのだから認めてあげよう、とか、責めるべきではない、というような意見は、まるで小学校の運動会レベルの議論だと言わざるを得ません。運動会だから、「一生懸命走ったのだから、ビリになっても立派だよ。」と言えるのです。

 法廷通訳にとっては、がんばってもがんばらなくても、全力を尽くしても手抜きをしても、通訳が正確にできれば、どっちだっていいのです。結果が全てです。いくら一生懸命がんばっても、正確に通訳をすることができない人は法廷に立ってはいけないのです。被告人の人生を左右する場です。どんなに全力を尽くしても、能力が低かったら、やってはいけないのです。

 このことを「通訳」という文脈で語っても、理解しにくいかも知れません。では、こういう例はどうでしょうか。自分の友人が盲腸炎で苦しんでいる。何とか助けたいので、医師免許がないのに手術をしてしまった。その結果、友人は死んでしまった。もし、こういう事件が起こったら、人は何と言うでしょうか。一生懸命頑張って手術をしたのだから、責めては可哀そう、と言うでしょうか。まず言わないと思います。医師の資格もないのに手術をしたことに対して責任を問うのが普通だと思います。仮にその友人が助かったとします。それでも人は、資格がないのに手術をすることに抵抗を感じるはずです。法廷通訳についても、そのように厳しいスタンダードが守られるべきです。法廷は小学校の運動会ではありません。手術室と同様、人間の命を扱っている場所なのですから。

 一般的に会議通訳の世界は非常に厳しいです。水準以下の通訳者は市場原理によって淘汰され、優秀な人材だけが残ります。ところが法廷通訳の世界はそうではありません。出来る人と出来ない人が、全く同じ待遇を受け、問題があっても誰も何も言いません。実際、法廷通訳人の能力の上下のレベル差は、毎年100回以上手術をしてきた超ベテランの外科医と医学部1年生の学生の差ほどもあるのです。でも、資格認定制度がないこと、そして、市場原理が機能しない分野であることから、「通訳能力が不十分な人」を排除できません。これが日本の法廷通訳制度の最大の欠陥です。

 法廷通訳という問題について、関係者が正しい認識を持ち、議論が誤った方向に進んでいかないことを願っています。
スポンサーサイト
Makiko Mizuno
「司法通訳」新情報


 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。