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Makiko Mizuno
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異文化伝心 その(2) メルボルン事件
メルボルン事件・・・もしかして、あなたの身にも・・・。

 今回は、日本人観光客が海外で事件に巻き込まれた問題を、通訳という観点からお話します。
 1992年に、7人の日本人がマレーシアを回ってオーストラリアへ行くツアーに参加しました。マレーシアでは現地ガイドに出迎えられ、車で市内のレストランで食事をしますが、食事後に帰ろうとすると、荷物を入れておいたワゴン車が駐車場から消えていたのです。7人はショックを受けますが、ガイドが「何とかするから」と言うので、そのままホテルに入り、心配な気持ちで夜を明かします。
 次の朝、彼らのところにガイドが現れ、こう言います。「荷物は見つかった。でもスーツケースがズタズタにされていたので、こちらで新しくスーツケースを用意したから、それに詰め替えてくれ。」
7人は何の疑問も持たずに、言われたとおり、用意されたスーツケースに荷物を入れて、それを持ってオーストラリアに向かいます。
 ところが、オーストラリアのメルボルン空港で、職員に怪しまれ、彼らはスーツケースのチェックを受けます。すると、なんと、スーツケースは二重底になっていて、大量のヘロインが発見されたのです。
 彼らは、荷物の盗難のこと、スーツケースが途中で換えられたものであることなどを説明しようとしますが、言葉の壁に阻まれて思うようになりません。通訳者も不慣れで、ほとんど機能しません。例えば、「これはあなたのスーツケースか」という質問に対して、通訳は「スーツケース」という言葉の代わりに「荷物」という言葉を使いました。「スーツケース」が物を入れておくカバンを指すのに対し、「荷物」は中身を指します。ですから、「これはあなたの荷物ですか」と聞かれた場合、中身がそうであれば、たとえスーツケースが自分のものでなくても「はい、そうです」と答えてしまうのです。
 言葉の壁のために、ほとんど弁明できないまま、彼らのうちの5人が逮捕され、取調べを受けますが、ここでもまた、通訳の問題が生じます。あなたには弁護人をつける権利がある」という、ごく当然の権利も、「あなたは法律の専門の人にお会いしたいですか」と通訳者が訳したため、きちんと伝わりません。また、通訳者がスムーズに訳すことができなくて刑事の質問の意味がうまく伝わらず、即答できないことが多かったため、刑事に、「嘘をついている」、「言い逃れをしようとしている」という悪い印象を与えてしまいました。
 結局、彼らは裁判にかけられますが、裁判でも通訳が十分でなく、公判の内容の20%くらいしか理解できないまま、有罪判決が下され、15年と20年の刑が言い渡されます。彼らは、身に覚えのない罪によって、そして、そのことを十分説明できないまま長期の拘束を余儀なくされていると、国連の人権委員会に訴えました(個人通報)。でも、結局彼らの主張は通らず、長年の刑務所生活を送ったのち、仮釈放で日本に帰されました。彼らは今でも無罪を主張し、救済措置を求めています。
 このように、司法の場では、通訳の質が人の人生を左右します。一つ一つの小さな通訳ミスや不手際は、そのことだけのために判決や評決を左右することはないにしても、それがいくつも重なると、全体の流れを決定付ける要因になり得ます。でも、争点となるような重要な点での通訳ミスは致命的です。それによって有罪、無罪が決定することもあります。
 たまたま通訳がよくなかったために、何年も刑務所に入ることになったらどうしよう。ちょっと想像してみてください。
 また、「異文化」という観点からも、この事件の被告人は不利な状況に置かれました。5人の被疑者が一人ずつ取り調べを受けたわけですが、マレーシアでの出来事を尋ねられました。その時に、ホテルはどこだったのかとか、レストランはどこにあったのかというような質問に、それぞれがうまく答えられませんでした。オーストラリア人の刑事は、このことを非常に怪しく思ったようです。大の大人が自分が食事をした場所も泊まったところも覚えていないなど、あり得ないことで、何か隠しているに違いないと思われたのです。
 でも、これは、日本人のツアー客にとっては、ごく普通のことです。日本人はツアーガイドやリーダーにすべて任せて後をついていくだけの場合が多いのです。ホテルがどこにあったのかなど、個人個人が覚えていることのほうが珍しいし、ホテルやレストランの名前など、現地語であればよけいに、覚える努力すらしないのではないでしょうか。このような日本人にとって当たり前のことが、オーストラリアでは異常なことに思われたのです。
 文化の違いによって取り返しのつかない誤解が生じることも多いのです。自分の文化を一歩出たとたん、当然のことが当然でなくなるということを、多くの日本人は意識していません。メルボルン事件のようなことが自分の身に起こってはじめて、いかに自分たちが無防備であったかに気づきます。でも、その時にはもう遅いのです。


この事件は「メルボルン事件」として有名になり、新聞、テレビなどのマスコミでも何度も取り上げられています。インターネットでも多くのサイトがあります。
(筆者は、日本の弁護団の依頼で、メルボルン警察での取り調べの録音テープを分析しました。)
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Makiko Mizuno
エッセイ(異文化伝心)


 
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