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Makiko Mizuno
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ベニース事件のその後
本ブログでも何度か取り上げたベニース事件が結審し、あとは10月22日に予定されている判決言い渡しを待つだけです。

この事件では、第1審の通訳の質が問題になり、複数の専門家による鑑定書が提出されたことが特徴でした。ところが、この数ヶ月間の控訴審を通して明らかになったことは、裁判所は法廷通訳問題については、完全に「見ざる聞かざる言わざる」の姿勢を貫くことにしている、ということでした。通訳問題を議論することは不必要かつ不適切だとされたのです。

弁護人による被告人質問でも、通訳をめぐる問題に触れることが厳しく制限され、通訳が問題になったから控訴された事件で、被告人に対し、通訳について質問できないという、普通の感性の人間にはとても理解できない状況になりました。

鑑定に関してですが、最初の鑑定書は控訴趣意書とセットで提出されたので、かろうじて証拠として認められましたが、その鑑定書に対する検察側の意見書が出され、それが言語学の専門家の目から見たら、全く的を射ていない内容だったので、さらに、複数の別の専門家による鑑定書が弁護側から出されました。それは、最初の鑑定書の内容を強化するものでした。

ところが、検察官は、それらの鑑定書を一切証拠として認めないという姿勢を取りました、その理由には、鑑定に関わった私たち専門家は唖然とするよりほかありませんでした。

まず、鑑定人たちは同じ学会に属し、活動をともにしているから不公正な集団であるというのです。同じ研究分野の人間が同じ学会に属することはごく当然です。学会そのものに鑑定が依頼されるケースもあるのですから、そのような批判は的外れです。

それから、鑑定人たちは学識経験者ではなく、内容も個人的意見にすぎないとされました。法と言語の分野で私たちが学識経験者でないとすると、誰が学識経験者なのでしょうか。そのような無理な理由をつけて鑑定書を否定するよりは、別の専門家に鑑定させて、堂々と対決すればいいと誰もが思うことでしょう。私たちも、他の研究者によって、より高度で科学的なエビデンスをもって、私たちの鑑定結果が否定されたのであれば、同じ研究者として、それを喜んで受け入れたでしょう。

さらに、検察の言い分では、私たちが指摘している第1審の通訳エラーは、すべて「意訳」の範囲であるということでした。法廷で認められる「意訳」とは、「目標言語で意味が通りやすくするために表現方法は変えても、原発言の情報の内容と密度は変化していない訳」です。ベニース事件の第1審の通訳は、その「意訳」の範囲に収まるようなものではありませんでした。検察側が「意訳」であるとするなら、法廷通訳における「意訳」とは何か、専門家による検証を求めるべきだったと思います。

言語に関わる証拠に対する検察の姿勢は以上のようなものであり、私たち研究者には信じられないことばかりでしたが、今、大変問題になっている特捜検事証拠改ざん事件の例を見ても、日本の検察にとっては、言語学の専門家たちを貶め、その学識経験を土足で踏みにじることぐらい朝飯前なのだということがよくわかりました。本当に恐ろしいことです。

さらに、鑑定論争どころか、法廷通訳に関する話題は絶対に避けるという裁判所の姿勢は、あまりにもいびつで、日本の司法には本当に正義はあるのだろうかと、非常に不安になります。

司法とは秩序を守るために存在します。全体の秩序を守るためには、個々の正義を犠牲にしてもかまわないという考えが主流であり、それをよしとしない裁判官は異端者だとされるのが現状だと聞いたことがあります。通訳問題にメスを入れることは、おそらく大変な資金とエネルギーを要することでしょう。ある意味、秩序を乱すことになるのかもしれません。でも、世界の多くの先進国は、それをきちんとやっているのです。

今回、通訳の問題がこれほど明らかな証拠として示された事件においても、それが議論すらされなかったとなると、今後、通訳人が、有罪が無罪に変わってしまうほどの大失態をおかさない限り、通訳問題がまともに取り上げられることはおそらくないでしょう。これが日本の法廷通訳をめぐる現状です。


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Makiko Mizuno
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