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Makiko Mizuno
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法廷での反省表現
asahi 9.7〈9月7日朝日新聞〉

 外国人が被告人となる裁判員裁判が各地で行われるようになってきました。9月8日からさいたま地裁で行われたフィリピン人の強盗致傷事件が第一号でした。以前、朝日新聞の「私の視点」に、通訳の訳し方が裁判員に与える影響について書いた記事が載ったこともあり、関東の多くの新聞社から取材を受けました。

 法廷で通訳人がどのように訳すかによって、裁判員にどのような影響が及ぶかを探るのが私の研究課題ですが、9月6日に日本通訳翻訳学会の年次大会で行った法廷実験でも、わかったことがありました。それは、法廷での「反省」に関わることです。

 法廷実験では、強盗傷害の罪で起訴されているスペイン語を話す被告人の証言に対して、いくつかの異なる通訳バージョンのDVDを用意して、参加者に見てもらい、その印象を問うアンケートに答えてもらうという形で行いました。反省に関わる場面では、スペイン語で「判断力を失った」という意味の「頭を失った」という表現を、通訳人が直訳した場合と、「どうかしていました」というように意訳したものの2通りあったのですが、やはり、通訳者が文化特有の表現を、そのニュアンスどおりに訳したものの方が、被告人の反省度や信頼性などに関してポイントが高くなりました。直訳してしまうと、弁護人がその意味を問う質問を繰り返さざるをえなくなり、聞いている人には言い逃れをしているように聞こえたりするのです。

 実験では、他にもいくつかの分析ポイントが盛り込んでありました。たとえば、自分が行った犯罪に対して「残念です」と言うのと「申し訳ありません」と言うのとでは、後者のほうがポイントが高く、「残念です」は反省しているようには見えない、というような感想もありました。元のスペイン語は、どちらの日本語表現にも訳せるということですから、このような場合、通訳人が裁判員の心証を作り出してしまっていると言えましょう。

 また、似たような状況で、「許してください」と「申し訳ありません」の対比があります。やはり後者のほうが印象がいいようです。どうも、日本人にとって、「申し訳ないことをしました」というのが、一番受け入れやすい反省のことばのようです。

 日本の法廷文化として特徴的なのが、被告人を裁判でいかに反省させるかが非常に重要視されることです。重大事件の犯人が被告人の場合、裁判で反省の気持ちを示したかどうかが問題となり、反省しない場合、新聞などで「被告人は最後まで反省の言葉を口にしなかった」というように報道されるのです。そういうことにニュース・バリューがあるのです。

 深い悔悛の気持ちを表す被告人に対し、裁判員の評価が上がることは当然予測されることです。そういう意味で、通訳人の責任は重大です。

 (他の法廷実験関連の記事は、こちらのサイトをご覧ください。)



Makiko Mizuno
エッセイ(一般)


BC級戦犯の苦悩と通訳
BC級戦犯の苦悩と通訳・・・・『私は貝になりたい』を観て

 先日、中居正弘主演の映画『私は貝になりたい』を観た。これは1958年公開の同名のTVドラマのリメイク版だ。実は、このドラマは、子供の時に観たことがあり、その内容の理不尽さに非常に衝撃を受けたことを生々しく覚えている。私の年齢を考えると、おそらく再放送されたものだったと思われるが、その時、家のどの部屋で誰と一緒に観たかというようなことも覚えており、そういう周りの状況から推測すると、かなり幼かった時代のことだ。子供のころは色々なドラマを観たわけだが、『私は貝になりたい』ほど記憶に鮮明に残っているドラマはない。
 今回の映画もなかなか良かったし、主役の中居正弘も演技はうまかったが、どうしてもそのイメージが「SMAPの中居くん」で、やはり昔のフランキー堺主演のドラマの方がストーリーの重みという点ではより印象深かったように感じる。
 ストーリーは、上官の命令でアメリカ兵の捕虜を殺害したとされ絞首刑になるBC級戦犯の苦悩と絶望を描いたものだが、私自身、東京裁判やBC級戦犯の裁判に関しては非常に関心があり、特にその通訳問題については、過去にいくつか小論を書いたこともある。8年位前だったと思うが、当時フィリピンやシンガポールで実際に軍事法廷の通訳を務めておられた河野節郎さんという方にお会いする機会を得、当時の体験を語っていただくとともに、貴重な資料のコピーもたくさんいただくことが出来た。それらによって、BC級戦犯の裁判がいかに不公正で悲惨なものであったかがわかった。
 「指一本の起訴」という言葉がある。BC級戦犯の容疑のほとんどが、捕虜虐待や現地住民に対する暴行や殺害であるが、そのような事件に関する裁判が開かれた場合、当時どの日本兵が関わっていたかを特定するのは非常に困難だ。だが、戦勝国側としては、けじめとして、あるいは見せしめのために、裁判を行って日本人を罰しなければならない。そのような場合、抑留されている日本兵に対して地元住民に面通しさせ、「この男だ」と指をささせる方式が取られた。これによって、全くアトランダムに容疑者が選ばれていき、無関係の人物が起訴されたりすることも多かったようだ。そして、通訳の調達もうまくいかないことも多く、間違いを立証しようにも言葉は通じず、冤罪のまま処刑されてしまうこともあったそうだ。
 映画では、裁判の場面で日系人通訳の変てこな日本語がうまく通じていないというシーンがあったが、映画のケースのように、横浜で行われたアメリカ関係の軍事法廷は日系二世が通訳の任に当たることが多かったようだ。中には非常に日本語に堪能な通訳官もいたが、あまり日本語がうまくなく、被告人の発言の真意がまったく伝わらないようなケースもあったと言う。
 また、映画でも描かれていたが、BC級戦犯の裁判の一番の理不尽さは、「上官の命令に従って行った」という理由がまったく認められないということだ。普通に生活していた普通の人が赤紙一枚で召集され、絶対に逆らうことの許されない軍の命令に従って行動しただけなのに、その理屈がまったく通用しないのが当時の状況だった。前述の河野さんのように通訳人が日本人の場合、日本の軍隊の状況がよくわかるので、被告人の立場や心情がわかり、したがって、被告人に対して非常に親身になり、裁判の間はまるで苦楽をともにする同士のような連帯感があったと言う。
 軍事法廷の不条理の中で、法廷通訳人として、被告人一人ひとりの運命が決定されてゆくのをつぶさに目撃した河野節郎さんは、こう語っておられた。「戦後半世紀以上を経た今日でも、心のどこかにトゲが刺さっている気がする」と。
 その河野さんは、今年亡くなられた。戦争裁判の生き証人がまた一人失われたことはまことに残念だ。心からそのご冥福をお祈りする。

Makiko Mizuno
エッセイ(一般)


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